(8)古本や骨董の値段なんて、あってないようなもの
山小屋にパンパンに詰め込まれていた古本と骨董ですが、買取り金額はあわせて15万円でした。
はたして安いのか高いのか――この金額をどうとらえるかは難しいですね。
まず、古本についていえば、湿度の高い場所に保管されていたせいで状態もかなり劣化していたためかなりの部分は廃棄に回さざるをえなかったと言われました。
骨董(ガラクタ)についても大した価値はなかったそうで。
あとから母に聞いたのですが、自分の死期を悟った祖父は生前、金目の骨董だけはきちんと売却していたとのこと。
小屋にあったのは「残り物」だったのでした。
どうりで大切にされてなかったわけだ。
個人的な感想を言えば、カビだらけになった本を値段がつかないものも含めてすべて持って行ってくれて、ガラクタも大半は買い取ってもらえて、おまけに15万円までいただけたと考えると、ほんと「ありがたい」のひとことに尽きます。
もし廃品回収業者を呼べば、同じ額(ひょっとしたらもっと高額)を処分費として請求されてもおかしくはありませんから。
それでも、祖父が本と骨董に費やした総額を考えれば「たった15万にしかならなかった」と言えなくもないわけで、この金額を客観的に妥当かどうか判断することは、正直、僕にはできません。
そもそも、古本(や骨董)の値段なんて、あってないようなもの。
ひとつ、エピソードを挙げましょう。
以前、これも祖父の遺品から見つかった『吾輩は猫である』の初版を神田まで売りに行ったことがあります。
漱石のなかでも断トツの人気を誇る作品です。
しかも、明治に発行された初版(!)
皮算用と言われようが、期待しちゃいますよね。
ところが、大通りに面した店に持ち込んでみると、告げられた金額はまさかの7千円。
店主はいろいろと理屈をならべたててそれらしい説明をしていましたが、あまりの安さに落胆して売るのをやめました。
せっかく神田まで来たのだからと、ためしに数店まわってみることに。
すると、これが驚くほど査定金額がちがうんですよ。
いちばん高い店で提示されたのはなんと10万円でした。
もし最初の店で売ってしまっていたら……と思うとゾッとします。
ひょっとして、あの店は「安く買いたたく店」だったんだろうか……。
このように、買取りにつきものなのは「ひょっとして、ボラれるんじゃないか」という不安ですが、その点、知り合いに頼んだ場合は安心です。
なにも最高値で買ってくれなくていいんです。
ひどい買いたたき方さえされなければ満足です。
いや、厳密にいえば「ボラれるのかもしれないという疑念を持たないで売り払える」という安心感といいますか。
まあ、今の時代、アマゾンのマーケットプレイスもあればヤフオクもメルカリもあるわけで、書庫の本にしても自分で売り方を工夫すればもっと高値がついたのかもしれないのですが、目的はそこにはありません。
僕の場合は古本を売るのは、あくまで書庫を片付けてリノベーションするためのステップに過ぎないのです。
売り方で悩んでいたら、今でも書庫は片付いていなかったでしょう。
目の前の古本とガラクタの山を処分しなければ、週末スモールハウスもクソもないわけですから、わりきれるところはわりきってよかったと思っています。