(210)【小さな家の小さな本棚⑩】永江朗『そうだ、京都に住もう。』
今回はインテリアや不動産に関わるジャンルで僕がもっとも愛読している本をご紹介します。
永江朗氏の『そうだ、京都に住もう。』(京阪神エルマガジン社、2011年)です。
東京在住のフリーライター・永江氏は、趣味である茶道のための別宅を探すなかで、京都の町家を買ってリノベしようと思い立ち……というのが本書の内容。
京都に住むこと自体はそもそもの目的ではなく、自分の求めるもの(茶室のあるセカンドハウス)を追求した結果、京都にたどりついてしまったというのがポイントです。
京町家の良さや伝統をことさら言い立てたりすることもなく、リノベーションのひとコマひとコマを自然体で綴っていくさまに好感が持てます。
自然体とはいえ、著者の永江氏はさまざまなジャンルにおいて多くの著書を書いてきたプロフェッショナルのライター/編集者ですから、読者を退屈させることはありません。
物語の「つかみ」とも言える序章は、冬の朝に京都の銀行でキャッシュで町家を購入するシーンを描きます。
支払いを全額現金でおこなうと聞き「もしもひったくりに遭ったらおしまいじゃないですか」(8ページ)と驚く著者に不動産屋が「皆さん現金だと気づかれないよう、ゴミ袋に入れてます。ゴミ袋に入れてぶら下げて歩いてますわ」(8-9ページ)と応じる場面や、「子どもを御所南小学校に入れるために校区のこの家を入手したものの、同志社の附属小学校に通うことになり、使わないまま手放すことにした」(9ページ)という売り主さんの事情などが、カルチャーショックをまじえつつ語られます。
「そもそものはじまりは茶室だった」(12ページ)という一文から始まる第一章では、氏が二拠点生活の場として京都を選び、物件を購入するまでが語られます。サーフィンやアウトドアのためにセカンドハウスを探すという話はよく聞きますが「茶道を楽しむために」というのは初めて聞きました。
当初は新築のマンションを検討したものの「モデルルームにがっかり」(28ページ)し、「ルームマーケット」という「おもろい」不動産屋さんの勧めで「町家を購入してリノベする」(34ページ)ことを決意します。
「京都のどこに物件を買うのか」「複数ある候補の中から物件をどう選ぶのか」など、自分なりのロジックでしっかりと語られていくのも明快です。
続く第二章では建築家の河井敏明氏とともに設計プランを練り上げていくさまが綴られます。
家づくりの考え方は施主の数・建築家の数だけあるのかもしれませんが、永江氏のこだわりは椅子。
「家具のなかでいちばん好きなのは椅子だ」(84ページ)と書く永江氏は、町家のリノベーションを椅子から考え始めるのです。
白羽の矢が立ったのがハンス・J・ウェグナーの「ベアチェア」です。
ウェグナーについては、以前「サボファニチャー」店主の小松義樹さんのインタビュー記事でご紹介しました。
数々の名作椅子を生み出してきた北欧デザインの巨匠ですが、中でも「ベアチェア」は傑作として知られています。
……なんて物知り顔で書きましたが、僕が「ベアチェア」を初めて知ったのは、この『そうだ、京都に住もう。』だったのですが。
「サボファニチャー」の小松さんのご厚意で、お店で撮影した「ベアチェア」を掲載させていただきます。
端正なデザインも目を引きますが、特筆すべきはその大きさ。
「座るとまるで熊に抱かれるような気持ちになる」(87ページ)とは永江氏の言葉ですが、僕も実際に座らせていただいて背中がすっぽりと包まれるような座り心地に驚きました。
ところが、間口の狭い京町家のリノベーションではこの大きなサイズが仇となります。
玄関を入って階段の横をすり抜けることができず、室内に搬入できないことが発覚してしまったのです。
泣く泣くあきらめた永江氏は同じくウェグナーの手がけた「ミニベア」を選ぶことに決めます。
こちらも以前「サボファニチャー」で撮った写真をどうぞ。
右が「ミニベア」です。
「ベアチェア」にくらべるとだいぶ小ぶりな印象ですね。
永江氏の町家では、左に写っている「CH25」とほぼ同型の「CH27」も「ミニベア」とならべてリビングに置かれているんだとか。
この二脚の組み合わせ、ひょっとして北欧の椅子好きがたどりつくコーディネートなのでしょうか。
このほか、ダイニングには「CH30」が置かれているそうです。
「京町家にウェグナーってどうなのよ?」と思う方もいるかもしれませんが、本書の冒頭に紹介されている完成後の写真を見れば、その趣味の良い出来ばえに感心するはずです。
ウェグナー以外にも、ウィリアム・モリスの壁紙「アネモネ」が屋根裏に貼られていたりと、京町家という「和」の容れ物に「洋」のインテリアが用いられていながら、グイグイくる自己主張や変なクセを感じさせないすっきりとした空間に仕上がっています。
個人的には、工務店の方が手で巻いたという籐巻きの柱と「ミニベア」の組み合わせ(177ページ掲載)が印象に残りました。
ぜひ実際に本を手に取って写真をごらんになってみてください。
完成後の姿だけ見ると、こざっぱりとして苦労の跡は微塵も感じさせませんが、第三章の施工中のエピソードの数々からは、リノベーションならではの苦労が感じ取れます。
僕もマンションの部屋を何度も改修してきたのでわかりますが、リノベーションの厄介なところは新築とちがって実際に工事が始まると予想外のアクシデントが発生し、プランの練り直しを余儀なくされること。
それが京都という遠隔地の築百年の町家となれば苦労は推して知るべし。
しかも、工事中に東日本大震災に見舞われるというアクシデントもあり、さぞ大変だったことでしょう。
そんなリノベーションに関する描写の合間に、さりげなく京都の美味しいお店が顔を出すのもこの本の魅力のひとつです。
たとえば、設計を手がけた建築家の河井氏に連れられて訪れたという寿司の「末廣」。
永江氏は「これまで52年の人生で食べたどの鯖寿司よりもうまい」(82ページ)と書いているのですが、僕もこちらのお寿司は大好きでまったく同じ感想を抱きました。
これはお店で妻が撮影した写真。
ごらんのとおり、肉厚で脂の乗った鯖は異次元の美味しさでした。
奥に見える穴子寿司もふっくらふかふか。
京都に暮らすと、これを食べたいときに食べられるんだよな……ほんと、うらやましい。
このほかにもパン屋さんや中華料理店など、美味しそうなお店の描写がちょいちょい登場し、次に京都に行ったときには訪れてみたいなと思わせられます。
京都に家を買うつもりが1ミリもなくても、京都に関心がある人なら楽しく読めること請け合いです。
しかし、京町家のリノベーションについてのハウツー本的な側面を過度に期待するのはお門違いです。
お金についての描写はありますが、具体的な金額は一切明かされないので物件の価格も設計費用も想像するしかありません。
文中では「お金がないので、知恵でカバーするしかない」(116ページ)なんて書いてありますが、リビングに「ベアチェア」を置こうなんてサラリと書けるくらいですから、それなりの資金力をお持ちなのはまちがいないと思います。
現在は不動産価格もさらに上がっていると思いますし、庶民が背伸びして京都に家を買うときの実践的な手引きにはならないでしょう。
この本は、永江朗というひとりの人間が京都で町家を買ってリノベーションし、暮らし始めるまでのドキュメントであり、そのプロセスを楽しむ本なのです。
さて、この本には文庫版もあります。
文庫版は安価で入手が容易なのですが、残念ながらいくつかコンテンツがカットされてしまっています。
まず残念なのが、平面図がないこと。
単行本の冒頭には平面図が掲載されており、これがあると「あれ?キッチンってどこだっけ?」なんてときに立ち戻って確認できるので、人様の物件を見るのが好きな人間には必須コンテンツだと思います。
また、単行本で各章の間に収録されていた「ガエまちやの裏側」と題されたインタビュー記事がないのも残念です。
不動産屋・建築家・工務店それぞれの視点から語る舞台裏は、永江氏の描写を補足しつつ多角的な理解をもたらしてくれます。
そのほか、単行本では「ヨソさんにも優しい京都案内」と題したマップが掲載されていますが、これが「ふだん使いの京の名店リスト79」と名を変えて地図が姿を消しています。
一方、文庫版独自のコンテンツとして「文庫版の長いあとがき」と題された文章が新たに書き下ろされており、京都に家を持ってから3年半を経た永江氏の後日談を知ることができます。
細かい内容のちがいには興味がないという方なら気楽に持ち運べる文庫版も良いかもしれません。
ちなみに、僕が初めて「そうだ、京都に住もう。」を読んだのは「lmaga.jp」という京阪神エルマガジン社のウェブサイトでした。
僕が大家を始めたばかりの頃ですから、7年ほど前でしょうか。
思い出してみると、毎回、永江氏の撮影した写真が添えられ、単行本に収録されなかった回もあったような気もするのですが、現在は非公開になっているので詳細はわかりません。
今年はコロナのせいで書籍の売れ行きが好調だったと聞きます。
ステイホームを強いられるであろう年末年始、読書で京都に思いを馳せてみるのはいかがですか。