(180)【小さな家の小さな本棚⑨】「9坪ハウス」にまつわる3冊
今回は、萩原修『9坪の家』(廣済堂出版、2000年)と、萩原百合『9坪ハウス狂騒曲』(マガジンハウス、2001年)、萩原百合+9坪ハウスオーナーズ倶楽部『9坪ハウス 小さな家で大きな暮らし』(河出書房新社、2006年)の3冊をご紹介したいと思います。
まずは『9坪の家』からまいりましょう。
9坪の広さの家というなら、ありふれていますよね。
1坪≒3.3平米として29.7平米の家なんて世の中にいくらでもあります。
偶然ですが、うちのマンションも一室がほぼ9坪です。
でも、この家はその来歴からしてちがいます。
原型となったのは、建築家の増沢洵氏が設計した自邸「最小限住居」。
萩原修氏は、リビングデザインセンターOZONEで働いていたときに柱をテーマにした展覧会を担当し、その展示で「最小限住居」の軸組が再現されたさまを見て、感銘を受けたそうです。
「はじめに」から一文を引用してみましょう。
「柱をテーマにした展覧会なので、その家は、木造軸組の柱と梁の軸組だけが再現されていた。つまり、基礎はしてないものの家をつくるときの上棟式の時のような状態だった。本当にその状態は美しかった。3間×3間の9坪の正方形。2階建ての小さな家である。手にとることができるようなスケール感。丸い柱で囲まれた空間がなんとも気持ちいい。」(3ページ)
家の特徴がシンプルに言い表されています。
『9坪ハウス狂騒曲』の表紙に、のちに完成した萩原邸の写真が掲載されていますので見てみましょう。
まるで箱をストンと置いたような潔い外観が目を引きます。
『9坪の家』は、当時37歳だった萩原修氏が、柱の美しさに心を打たれ「この家を完成させたい」(3ページ)と思いついたところから、家族を説得して土地を探し、工務店や建築家の協力を受け、紆余曲折を経てなんとか9坪の家を完成させるまでの顛末を描いた本なのです。
OZONEで働き、デザイナーや建築家とコネクションを持っている点や、まず家の骨組みありきで土地を探す点など、家づくりの観点から見ればイレギュラーな要素が満載なのですが、ひとりの中年男性が家を建てるドキュメントとして楽しく読めるのはまちがいありません。
個人的に興味深かったのが、「最小限住居」を萩原氏の要望に沿ってリ・デザインした小泉誠氏についてのくだりです。
「ある時期、小泉さんは、中村好文さんという建築家の事務所で居候していたことがある。中村さんには、学生時代に家具のことを習ったらしい。中村さんは、吉村順三さんという有名な建築家のところで、5年間ほど働いていた人だ。
吉村さんは、増沢さんがいたアントニン・レイモンドの事務所で学んでいる。つまり、糸をたぐると小泉さんも、増沢さんと遠い親戚みたいな関係なのだ。」(94ページ)
なるほど、言われてみると小泉氏が手がけた内装は、シンプルなたたずまいや、
作りつけの家具など、
中村好文氏の仕事に通じる雰囲気が感じられます。
中村氏の仕事については、以前、こちらで紹介しました。
そして増沢氏が働いていた事務所に、吉村順三氏もいたという事実も面白く感じました。
吉村氏の手がけた別荘についても以前紹介しましたね。
固有名詞が多いので、ちょっと整理してみましょうか。
建築というと、デカい公共の建物や豪邸ばかりがメディアに取り上げられがちな印象ですが、こうやってこじんまりとしてシンプルな家を設計する仕事も当然あるわけで、その流れのひとつを知ることができたのはよかったです。
アントニン・レイモンドの仕事も調べてみたくなりました。
さて、この『9坪の家』をより一層興味深いものにしているのが、『9坪ハウス狂騒曲』という本の存在です。
現在は文庫版もあるようです。
著者の萩原百合氏は、萩原修氏の奥様。
『9坪の家』と同じ家が建つまでの舞台裏を描いているのですが、視点も語り口もまったく異なります。
「最小限住居」に惚れ込んで自宅にしたいと思い立った萩原修氏に対し、奥様は「魅力的な家ではある。しかし、実際にここで暮らすとなったら話は別だ」(30ページ)という気持ちから出発しているので、戸惑ったりあきれたり怒ったりしながら、徐々に家への愛着を深めていくのです。
まあ、「土地に縛られる生活は嫌だ。僕には、家を建てる気なんてさらさらないからね」(16ページ)とか言ってた旦那が急に手のひら返したように家を建てたいなんて言い出したら、腹も立つでしょうね。
この著作は、そういう感情の動きを隠さずに記しているところがいいのです。
たとえば、乗り気ではなかった「9坪ハウス」に対して百合氏がやる気を出すくだり。
背中を押してもらいたいという期待を胸に、中村好文が好きだという友人A子に「9坪ハウス」のことを相談すると、「あなた本気で9坪の家を建てるつもりなの?」(43ページ)と冷ややかな目を向けられ、ショックを受けてしまいます。
しかし、同時に「やってやろうじゃないの」(43ページ)と闘志を沸き立たせもするのです。
はっきりいって、家を建てる動機としては不純です。
でも、人間なんてこういう感情で動くものだと思うんですよ。
とくに夫婦や親子で家を建てたりリフォームすれば、往々にしてこういう感情に左右される局面が出てくるということは、僕自身の経験でも思い当たります。
土地の購入時には、土壇場で売主から無理難題を言われて激怒した夫を目の前に、自分まで怒ってしまったらおしまいと、ぐっと我慢する場面も。
「どこにも持っていきようのない憤りを、私は夫という連れ合いにすらひた隠しに隠していた」(94ページ)
涙ぐましい。
おしゃれな家を建てる人はみんなクールな印象があるけれど、きっと家庭の中ではいろいろあるんだよねって思えて素直に共感できます。
『9坪の家』とは異なり、「9坪ハウス」完成後の描写もあるので、「この家でどうやって洗濯物を干すのか?」とか「外からまる見えの食卓で食事する気分は?」とかいった生活に密着した側面についても知ることができます。
大規模な建築事業ならともかく、このような一戸建ての建築プロセスを異なる視点から眺め、比較することができる本はけっこう貴重なのではないでしょうか。
『9坪の家』と『9坪ハウス狂騒曲』はぜひともあわせて読むことをおすすめします。
さて、萩原夫妻によって建てられた家は多くの反響を生み、同じような家に住んでみたいという声が上がり、商品化されることになります。
「9坪ハウス」と名付けられた家は2002年から販売を開始し、グッドデザイン賞も受賞しました。
そんな「9坪ハウス」のオーナーたちに取材し、そのバリエーションを紹介したのが『9坪ハウス 小さな家で大きな暮らし』です。
「9坪ハウス」の実例が写真とともに多数紹介され、施主のインタビューや建築家との対談も掲載されています。
「9坪ハウス」について簡単に知りたいという読者のためのガイドブックとも言えるでしょう。
この本によれば「デザインされたプロダクト住宅」として販売するにあたって5つのルールが決められたのだそうです。
17ページより引用しましょう。
「平面は正方形(3間×3間)のプランとする」
「3坪の吹き抜けを設ける」
「外形は14.8尺の切妻屋根」
「丸柱を使う」
「メインファサードには開口部を設ける」
このルールは増沢洵氏の息子さんで建築家の増沢幸尋氏の「増沢邸の、魅力の核となる部分を原則に定めてデザインしたらどうだろう」(17ページ)という提案に沿って決められたんだとか。
たしかに、長方形の「9坪ハウス」や正面に開口のない「9坪ハウス」って、想像がつかない気がします。
このルールにのっとって、小泉氏をはじめとする建築家やデザイナーが手がけるさまざまな「9坪ハウス」のフォーマットが生み出されました。
中には「tall」と名付けられた「のっぽ」な3階建てバージョンも。
一般的な「9坪ハウス」の広さは一階の9坪(約30平米)+二階の6坪(約20平米)の50平米で決して広いとは言えません。
それを三階建てにしてアレンジして広さを確保しています。
ほかにも庭に離れを設けた事例や、「9坪ハウス」を建てて親子で住まいを交換したなんていう事例も紹介されており、家族構成や施主の好みによってカスタマイズ可能な柔軟性も感じられます。
ちなみに、萩原修氏が建てた「9坪ハウス」には「SAH」という名前が付けられています。
「SAH」とは「Sumire Aoi House」の略。
萩原夫妻の二人の娘さん、スミレさんとアオイさんから取られた名前です。
実は、「Sumire Aoi House」は、現在では「9坪の宿 スミレアオイハウス」と名付けられて貸切型の宿泊施設になっており、スミレさんとアオイさんがホストとして管理されています。
お二人は、クラウンドファウンディングで資金を集め、元の家の良さを残しつつリフォームしたそうです。
詳しい経緯はこちらをごらんください。
「Sumire Aoi House」が完成後に歩んだ道のりがよくわかり、先ほどご紹介した2冊のエピローグとしても読めるはずです。
2015年に萩原百合氏は急逝されたそうで、思い入れのある実家を残したいという気持ちもあったのでしょう。
素敵な試みだと思います。
「9坪ハウス」が、建築史上の名作とひとつの家族の出会いによって生まれたことがよくわかり、感慨深い読書体験でした。
いつか僕も「スミレアオイハウス」に泊まりに行ってみたいと思います。