(737)【後編】「UR まちとくらしのミュージアム」に行ってきた
引き続き、赤羽にある「UR まちとくらしのミュージアム」を訪問したお話です。
前回は「代官山アパート(同潤会アパート)」(1926年竣工)と「蓮根団地」(1957年竣工)をご紹介しました。
今回ご紹介するのは「晴海高層アパート」(1958年竣工)です。「蓮根団地」と一年しか違いませんが、中身的には十年くらい未来のスタンダードを先取りしたような造りとなっており、何より日本らしさとモダンさが共存するインテリアに感銘を受けました。
■メガストラクチャーと呼ばれる構造
設計を手がけたのがあの前川國男だからでしょうか、「晴海高層アパート」はこのミュージアムの中でももっとも充実した展示となっています。

こちらは外観の模型。これだけ見ると、素人目にはどこにでもある高層マンションだろうと思えてしまうのですが、その構造に新しい試みが隠されています。
メガストラクチャーと呼ばれる大きな枠の中に、横に2戸、縦に3階分の計6戸の住宅が多層的にはめ込まれる設計になっているのです。

いちばん太い柱と梁が強固な構造体となり、その内部では室内を自由に設計できたそうです。

展示されている当時の案内図を見ると、マンション内がこの構造単位に基づいて3フロアずつ分けられていたのが見て取れます。「赤」「黄」「青」の部分がそれぞれメガストラクチャーに囲まれた部分です。

実はこの「晴海高層アパート」はエレベーターが設置された初の公団住宅でもあるのですが、エレベーターは全フロアに停止するのではなく、このメガストラクチャーの真ん中に当たる「3階」「6階」「9階」にのみ止まります。
あらためて案内図に記載された矢印をごらんいただければ、エレベーターの停止階からそれぞれのフロアに階段で移動するように設計されていたことがわかります。
たとえば、7階に住む人は6階で降りて階段を昇り、5階に住む人は階段を降りて自宅に向かうという仕組みです。
このミュージアムには階段でつながった2フロア分の住居が保存されているので、この構造を自分の足で体感することができるのは貴重な経験だと思います。

こちらはエレベーター停止階の廊下。奥の壁には当時の写真が貼ってあり、奥行きを感じられるように展示に工夫が施されています。
ごらんのとおり廊下にしては広すぎるくらいの幅がありますが、ガイドさんによれば、ここで子どもたちが遊んだり、住人たちが井戸端会議をしたりしていたそうで、アパート内に一種のパブリックスペースが用意されていたのは面白いと思いました。

共用廊下には電話機もあります。当時はまだ個々の住宅に電話が引かれておらず、交換手が取り次いだ電話に呼び出された住人が出るというかたちだったそうです。
当時の様子を思い描いてみると、出勤時間や帰宅時間にはこの広い廊下には、上下のフロアに住む人々も含めて多くの人が行き交い、立ち話をしたりしたのでしょう。プライベートを重視する現在のマンションとはずいぶん違った光景が広がっていたのだろうな、と思いました。
■70年を経た今、魅力的に見えるディテールの数々

では、ボルボのかわいいシール(当時物)が貼られたドアを通って、室内を見てみましょう。

玄関入ってすぐ横にはキッチンがあります。

前回ご紹介した「蓮根団地」ではキッチンのトップは石でしたが、ここでは昭和のキッチンでよく見るプレスされたステンレス板のトップが取り付けられています。ガイドさんの説明によれば、当時の最新技術だったそう。個人的には、これがあるだけでかなり自分の時代に近いと感じました。

キッチンの背後の壁がブロックそのままを塗装というのも、今見るとかっこいいですね。

このウォールランプなんて、山小屋の洗面のために恵比寿のパシフィックファニチャーサービスで僕が選んだ「モーテルランプ」にそっくりです。

ナショナル製のチャイムや、

古いスイッチも、70年を経た今、かえって魅力的に見えるものばかり。
唸らされたのは居間の設計。

なんだかとてもスッキリとした印象を受けるなと思ったら、建具(ふすま)の幅と畳の幅を合わせることで視覚的に整然と見えるように設計されているのだ、とガイドさんが説明してくれて腑に落ちました。サイズを合わせるため畳は特注したとのことで、公団住宅とは思えない贅沢さに驚きましたが、晴海という立地もあり、住人もハイエンドな職業の方が多かったそう。なるほど、今で言う高級マンションというわけか。

先ほども触れたとおり、このミュージアムには2フロアが保存されているので、階段を下りてもうひとつの部屋も見学することができます。
■造作された建具や家具……昔の当たり前が眩しい
この部屋が今回の見学のハイライト。

一歩、踏み入れた瞬間に「お、かっこいい」と素直に感じました。

特に目を引かれたのは、このダイニングスペース。ブロックそのままをグレーに塗装した壁に木の床を組み合わせたインテリアや、家具などのコーディネートには「ちょっと盛ってるのか?」と疑いの目を向けたくらい。

調べてみると、水之江忠臣の「ブックチェア」は同じく前川國男が設計した神奈川県立図書館のために1954年にデザインされたものですから、同じ建築家が手がけたこのマンションに置かれているのはごくごく自然なのですね。組み合わされているのも、同じく水之江忠臣によるダイニングテーブルでした。

食卓の奥にはキッチンがあります。キッチン本体も吊戸棚もすべて造作。先ほどの特注サイズの畳もそうですが、この部屋のために造られた建具や家具など、大量生産品のない時代には当たり前だったのかもしれませんが、それがなんとも眩しく感じられます。

個人的には歴史の勉強のつもりでこのミュージアムを訪れた僕でしたが、まさか「ここで暮らしたい」と思わされるとはうれしい驚きでした。

先ほどの部屋では1口の丸型コンロが置かれていたのに対し、こちらには僕の世代にはおなじみの2口のテーブルコンロが置かれていて、個人的にはもうほとんど違和感はありません。

トイレも洋式で、小さな手洗いまで付いていました。これならふつうに使えそう。

洗面もミニマムですが、きれいなデザイン。

ミラーキャビネットにしても、

ウォールライトにしても、今見てもまったく古臭さを感じません。

唯一、気になったのは木製のお風呂くらいでしょうか。

畳敷きの居室は「ザ・和室」というインテリアですが、完成されたデザインなので文句はありません。

当時はこの窓から晴海の景色が見えたのでしょう。
残念なのは、この晴海アパートは1997年、築40年を待たずして解体されてしまったという事実。
ガイドさんの説明によれば、解体時もメガストラクチャーという大きな枠はしっかりとした強度を保っていたそうです。そもそも、前川國男がメガストラクチャーを採用したのには、将来的にこの枠内で柔軟にリフォームやリノベーションをおこなうことができるようにという狙いがあったとのことですが、その目論見は果たされないまま、あまりにも早く建て替えの憂き目に遭うこととなりました。
中銀カプセルタワーもそうですが、優れた建築家ならば建物の持続可能性も視野に収めて設計をおこなうのは当然なのでしょう。しかし、バブル崩壊後もなお続いたスクラップ&ビルドの波に脆くも流され、藻屑と消えてしまったのでした。

まあ、仮に1997年の解体を免れていたとしても、令和の東京オリンピックに伴う晴海の再開発の狂騒をこの晴海高層アパートが生き延びることができたとは到底思えません。最近はやや落ち着きつつあるとはいえ、晴海をめぐる高騰ぶりは相変わらず。一等地に建てられた10階ほどの団地など、遅かれ早かれ、不動産高騰の嵐の前には吹き飛ぶように取り壊されて再開発されていたことでしょう。

そんなこんなも含め、いろいろと考えさせられることも多い、充実した見学ツアーでした。

前後編と二回にわたって紹介しましたが、ほかにも移築された「多摩平団地テラスハウス」や、過去の団地で用いられたさまざまなパーツがずらりとならべられたスペースなどもあり、無料で見学できるとは信じられない充実した展示内容です。築古マンションに興味のある方ならぜひ一度は訪れていただきたい場所であります。
【公式ページ】UR まちとくらしのミュージアム


















