(720)【note再録】『自由が丘ブランド』から10年後の答え合わせと未来への不安

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今回は、noteからの再録記事をお届けします。

【note】『自由が丘ブランド』から10年後の答え合わせと未来への不安

以下、noteに掲載した記事とまったく同じ内容ですので、お好きなほうでお読みいただければと思います。


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『自由が丘ブランド』から10年後の答え合わせと未来への不安


東急線の自由が丘駅で、この街としては史上最大規模の開発が進んでいる。

駅前の建設中のビル

その皮切りとなる最初の高層ビルは2026年の秋にオープンの予定だという。

個人的には自由が丘の魅力は路地にならぶ店々の間をぶらぶらと歩くことにあると思っているので、その空間を一掃して大きなビルを建てる開発には抵抗感を抱くのだが、ただ文句を言っているだけでは芸がないので、今回は自由が丘の街づくりについて具体的に知るためにこの本を読んでみた。

『自由が丘ブランド』書影

『自由が丘ブランド』(岡田一弥、阿古真理、産業能率大学出版部、2016年)である。

副題には「自由が丘商店街の挑戦史」とある。著者の一人である岡田一弥は自由が丘商店街振興組合の理事長を務める人物である。

九品仏川緑道

冒頭に述べた再開発がおこなわれている自由が丘駅の正面口とは反対に位置する南口にはたびたびメディアに取り上げられる九品仏川緑道があるが、

岡田ビル

ここには「岡田ビル」があり、岡田不動産はこの一帯の地主として緑道沿いの開発をリードしてきた。以前取り上げた『ヒルサイドテラス物語』でも触れたが、地主の意向は街の発展の方向性を大きく左右する。

本書を読み解き、自由が丘が現在の姿にたどりつくまでの歴史を追ってみたい。さらに、執筆当時(2016年)に試みられたプロジェクトがその後の十年でどんな道を歩んだのかを検証することで、今後の自由が丘の再開発の行方についても考えようと思う。


■「タケノコの村」から「雑貨の街」への変貌

自由が丘という街の成り立ちを時系列で理解するために、第三章からまとめていこう。

この章では、小さな村でしかなかった自由が丘が人気の街になるまでの歴史が語られている。

江戸時代、自由が丘周辺は衾村(ひぶすまむら)と呼ばれており、タケノコなど野菜の供給地だった。それが目黒線(当時は目蒲線)、東横線、大井町線の相次ぐ開通で住宅地として発展することになった。

自由が丘駅

かつて自由が丘駅は九品仏駅と呼ばれていたが、大井町線に九品仏駅ができたことでその名を譲り、自由が丘駅を名乗ることとなった。一般にも知られているが、その名の元となったのは「窓際のトットちゃん」で知られるトモエ学園の前身、自由が丘学園小学校であった。

背景にあったのは大正デモクラシーで、自由を貴ぶ気風に惹かれて多くの文化人が集まり、自由が丘という呼び名が定着していき、正式な住所になったそうである。第二次大戦中にはその名を変えよという圧力もあったが、そんな時代の波を乗り越えて、現在の自由が丘がある。

自由が丘デパート

戦後、駅周辺にできた闇市をベースに「自由が丘デパート」や「ひかり街」が生まれ、それは現在にいたるまで昭和の雰囲気を残している。

やがて復興が本格化すると時代の流れもあり、自由が丘には6つの映画館ができたが、映画産業の衰退とともにひとつまたひとつと姿を消し、現在はひとつも残っていない。

入れ替わるように自由が丘は「センスがよい洋品店が集まる街」(120ページ)として若い女性からの人気を集めるようになり、1970年代にはファッション誌で盛んに特集されるようになった。

そんな時代の流れを捉えた人物が前川嘉男であった。

私の部屋

雑貨店「私の部屋」の創業者であり、「雑貨の街」という現在の自由が丘の礎を築いた人物である。フランス文学の研究者であった前川は持ち前のセンスを活かして1972年に雑誌「私の部屋」を創刊。住宅街と商店街が調和した自由が丘にパリやロンドンのような雰囲気を感じ、あえて奥まった路地を選んで「私の部屋」の店舗を開いた。

「私の部屋」ができたことをきっかけに、住宅街だった路地の奥にも、ファッション関係の店が出来始める」(130ページ)。前川氏なくしては自由が丘が「雑貨の街」となることはなかっただろう。


■サンセットアレイ通り、マリ・クレール通り、九品仏川緑道

ここで時代は第一章「石畳の小道がある街」へとつながっていく。1980年代半ばから90年代である。

石畳の小道

自由が丘を少し歩けば、石畳が敷かれた細い道に出会う。

自由が丘の街は、細い小道でつながっている。入り組んだ小道を行くと、思わぬものに出会えるのが魅力である。(中略)歩く人を圧倒するような巨大なビルがなく、散策を楽しめるこぢんまりとした規模も、この街が愛される理由である」(15ページ)と本書でも書かれている。

この「石畳の小道」が生まれる契機となったのが1984年の「中曽根構造改革の一つであるコミュニティーマート構想モデル事業」(23ページ)だった。

これは「商店街を単なる買い物の場から地域消費者の総合的なニーズに応えうる「暮らしの広場」へと整備する」(23ページ)という環境整備モデル事業であるが、自由が丘は1990年に指定を受けた。

その先頭に立ったのが、「私の部屋」があるサンセットアレイ通りを有する駅前商店会だった。

サンセットアレイ通り

ヨーロッパを感じさせる石畳を敷き、雑貨やアパレルショップのならぶ小道に独特の雰囲気をもたらした。現在、この通りには「私の部屋」はもちろん、通りの名を冠した「サンセットコーヒー」をはじめとして「ベルアメール」「Aesop」「ゴディバ」「KEYUCA」などの店々が軒を連ねており、今もなお人気のショッピングストリートであり続けている。

自由が丘駅南口

一方、このサンセットアレイ通り以上に、今の自由が丘のイメージを代表する場所となっているのが大井町線を挟んで反対に位置する南口のエリアである。駅前商店会とならんで自由が丘におけるコミュニティーマート構想の中心となったのが、本書の著者でもある岡田を筆頭とする南口商店会だったのだ。

南口エリアは、今でこそGAPや無印良品などさまざまな洋服、雑貨の店、カフェなどの飲食店が立ち並ぶファッション街になっているが、その昔はほぼ住宅街で、その間に病院や柔道場、男女が人目を忍んで愛を交わす連れ込み宿などが点在するエリアだった」(20ページ)。

たしかに、僕が子どもの頃の記憶をたどっても、今よりも草木が鬱蒼としていて薄暗かった気がする。

そんな南口の風景はコミュニティーマート構想の指定を受ける前後から大きく変わることになった。時代としては1980年代半ばのことである。

メルサ2

1984年、南口改札を出てすぐの「メルサ2」のオーナーの一人である渡邊靖和が中央公論社と交渉して駅前の通りに「マリ・クレール通り」という名前を付けた。

マリ・クレール通り

南口エリアを『マリ・クレール』を読むような知的な大人の女性が訪れる街にしたい」(19ページ)という思いからだったという。緑道にベンチを設置し、放置自転車を一掃したのも彼の功績だった。

1986年、家業である「岡田不動産」を継いだ岡田は、信託銀行に勤めていたという経歴を活かし、一級建築士の石川忠や渡邊とともに地元の人々に呼びかけて街並みの改善に尽力。コミュニティーマート構想も活用しながら、多すぎる看板を整理して無電柱化をおこない、道路には石畳を敷き詰めた。電線を地中に埋没させるためにNTTや東電にかけあったり、高架下の環境を改善するために東急電鉄と話し合ったり、各所と地道な交渉を重ねた。

九品仏川緑道
※写真向かって左が目黒区、右が世田谷区

この緑道は目黒区と世田谷区の境界に当たるのだが、そこにあった高低差を解消するための調整もおこなったのだという。

無電柱化に必要な変電装置の置き場を提供したり、街路の舗装工事のために資金を捻出したり、岡田氏をはじめとした地主たちが身銭を切ることも多々あった。

マリ・クレール通り

さらに、地区計画と街づくり協定も策定した。業種の規制や敷地の分割制限をおこない、「風俗関係はダメ」とか「新しく建てる場合はペンシルビルにしない」といったルールを守ることで街並みを整えていったのである。本書の言葉を借りれば「その道は一朝一夕にできたものではなく、街の人々が積み重ねてきた努力の成果なのである」(49ページ)。

九品仏川緑道

こうして生み出された街並みは高い評価を受け、2012年には国土交通省の都市景観賞を受賞するまでになった。少し長くなるが、都市研究で知られる陣内秀信の講評を引用しよう。

大改造の手段は一切なく、様々な表情をもつ既存の狭い街路、路地など、その小さな空間の特徴を活かしながら丁寧に誘導、整備し、デザインし直すことで、歩いて楽しい回遊性のある都市空間と、変化に富んだ魅力的景観をつくり上げている。都心の商業空間でありながら心地よい生活感があり、随所に緑とベンチを配して、ゆっくりとした時の感覚を楽しめる人々にとっての居場所を生んでいる。従来にない景観づくりの新しい領域を切り開いてきた自由が丘が獲得した質の高い都市空間の集積は、新しい時代の景観大賞にふさわしいものである」(59ページ)。

路地を一掃してビルを建てるのではなく、すでに存在している小さな建物を活用して、ゆっくりとした時間を楽しめる都市空間を生み出したことが評価されたのである。


■マグネット効果を狙ったスイーツフォレストとトレインチ

続く第二章では、この延長に生まれた商業施設「自由が丘スイーツフォレスト」について語られる。

スイーツフォレスト

自由が丘が「スイーツの街」と呼ばれていることをごぞんじの方も多いだろうが、黄色いクリームが印象的な日本式のモンブラン発祥の老舗「モンブラン」や、1998年にオープンしてパティシエブームの火付け役となった「モンサンクレール」など、新旧さまざまな名店がひしめく自由が丘の街に2003年に誕生し、話題となったのが「スイーツフォレスト」であった。

仕掛け人はやはり岡田である。当時、「自由が丘は一見元気なようだけれど、女性ファッションの街、雑貨の街などと騒がれたバブル期を過ぎ、マスコミにもてはやされる時期ではなくなっていた」(71,72ページ)。そこで、岡田は石川忠を通じて出会ったナムコの池澤守の協力を得て、自由が丘に新しい活力を吹き込む「集客マシン」として日本初のスイーツのテーマパークを作ろうと考えたのだった。

スイーツフォレスト周辺

訪れてみるとわかるが、「スイーツフォレスト」があるのは「駅から近いが繁華街とは道一つ隔てている」(66ページ)微妙な立地である。写真のとおり、自転車の迷惑駐輪がずらりとならぶような場所だ。

岡田がアドバイスをあおいだ石川はこう述懐している。

自由が丘は中心地から数百メートルも離れると、商業施設の経営が厳しくなる。それは岡田さんも心得ておられたが、あの位置は商店街のマグネットになり得るんです。マグネット効果というのは、駅から何百メートルも離れた土地に集客装置があると、それが人を引き寄せるので、間にも人が集まるというものです」(66ページ)。

このマグネット効果の一端が「スイーツフォレスト」だとすると、反対側で同じ役割を果たすのが、東急不動産が手がけた「トレインチ」である。

トレインチ

大井町線が溝の口駅まで延伸されたのを機に不要になった車庫部分を活用し、「自由が丘にふさわしいおしゃれな商業施設」(68ページ)として2006年にオープンした。「マリ・クレール通り」の名づけ親・渡邊が東急の菅野信三に働きかけたのがきっかけだったという。

トレインチ

トレインチが賑わうことによって西側の、自由が丘スイーツフォレストが東側のマグネットとなり、両者が南口エリアの繁華街を東西に広げる役割を果たす」(68ページ)という構図ができあがったのである。岡田をはじめ、渡邊、石川というキーパーソンたちが南口エリアの開発に果たした役割の大きさがよくわかる。

九品仏川緑道

僕自身、九品仏川緑道は何度となく通ってきたが、その両端に設けられたトレインチとスイーツフォレストにこうした狙いが隠されていたとは初めて知った。

なお、本書の最終章である第四章では、ゴミ問題への対応やデビットカードの導入などについて語られるが、今回の趣旨から外れるので割愛させていただく。


■期待したほどのマグネット効果は発揮されなかった

『自由が丘ブランド』が出版された2016年からおよそ10年が経過した。

ここからは2026年の自由が丘の姿を見ながら、個人的な感想を書いていく。

スイーツフォレスト休園のお知らせ

スイーツフォレストは2024年末に休園した。

2016年時点で岡田自身が「イベントの壮大なバージョンの施設が、未来永劫続くという保証はどこにもない。ならばどのように損をしないで、ちゃんとビジネスとして成立するか」(78ページ)と語っている。

ちょっとわかりにくい表現ではあるが、平たく言えば「テーマパークにはいつか終わりが来るから、そのときまでにしっかり利益を上げなくてはいけない」ということだろう。テーマパークを作るには最適の場所とは言い難い自由が丘のはずれで20年余りにわたって営業を続けることができた時点で、おそらくビジネスとして成り立ったのではないか。

しかし、この十年間で自由が丘が以前よりもさらに多くの名店を擁するようになり、スイーツの街としてのますます成熟してきたなかでスイーツフォレストが浮いてしまった感は否めない。

自由が丘のスイーツ店には「大人の女性」をターゲットにした高級志向の店が多い。

先述した「モンブラン」や「モンサンクレール」はもちろん、奇しくもスイーツフォレストと同年にオープンし、以来20年余りにわたって評価を上げ続け、今や不動の名店となった「パリセヴェイユ」、2016年にオープンし「第四のチョコ」として知られるブロンドショコラが話題になった「マジドショコラ」、2023年にお隣の緑ヶ丘から移転してきた「ヌメロサンク・パリ」など、本格派の店が際立っている。

スイーツフォレスト外観

一方、スイーツフォレストは毛色がちがった。人に誘われてオープン当初にのぞいたが、「フォレスト」の名前そのままに森を模した内装は安手のアトラクション施設そのもので子供だましに感じたし、自由が丘にはそぐわない場所に思えたことだけは今でもはっきり覚えている。

本書でも書かれているようにオープン当初こそ名店「マルメゾン」の大山栄蔵シェフのクレープ専門店や「ル・スフレ」などの出店があったものの、時を追うごとに穴埋めのようなテナント選びが目立つようになり、2022年には韓国スイーツのテーマパークとしてリニューアルをおこなう迷走ぶりも見せ、わずか2年足らずで再びの休園となってしまった。開業時は「日本初のスイーツテーマパーク」として一世を風靡し、ブームを増幅する役割は果たしたのは事実だが、文化の成熟に寄与する施設にはならなかったと思う。

同時期、2021年には同じ緑道沿いに韓流コスメを押し出した「LAOX BEAUTY AIRPORT」がオープンし、こちらも1年余りで閉店している。「今、時代は韓流」と思う気持ちは理解できるが、ブームの表層をかすめ取ろうとするような出店には疑問を感じる。自由が丘のカフェなどに入ると、顧客の中心は裕福そうなマダム層が多く、韓流を好む若い層とはズレがある。ミスマッチを承知で新たなファン層を獲得する挑戦自体は否定しないが、安易な迎合では結果につながらないのではないか。

トレインチ

他方、「マグネット効果」の反対側を担うとされたトレインチの苦戦ぶりはより鮮明である。なかなかテナントが安定せず、入れ替わりが激しい。オープンしてから続いているのは「浅野屋」「ゴンゾー」「シナトラ」「ナチュラルキッチン」くらいではなかろうか。飲食店や雑貨店がオープンしては消えていく、という事態が何度も繰り返されている。この20年で何度もマイナーチェンジをおこなってはいるのも、テコ入れが必要な現状が続いているからだろう。

スイーツフォレストの休業とトレインチの低迷を見ると、『自由が丘ブランド』で語られていたマグネット効果については、想定していたほどではなかったと言えそうである。緑道の両端をより発展させようと試みたものの、効果は限定的だったというのが現実的な評価ではないか。

九品仏川緑道

とはいえ、九品仏川緑道の賑わいは相変わらずである。晴れた日には多くの人がベンチに腰かけ、思い思いの時間を過ごしている。とても気持ちのいい場所だ。

街づくりが常にうまくいくことはありえないし、チャレンジが続いている間は街の活気が失われることはない、とポジティブに受け止めている。


■二子玉川と武蔵小杉の背中を追いかける再開発でいいのか?

しかし、冒頭にも触れた正面口周辺のビル建設は、そういうチャレンジとは次元の異なる「開発」に見える。自由が丘という街がまったく別の形に変貌しようとしているのだ。

自由が丘駅前ビル

現在建設中のビル(「自由が丘1丁目29番地区」(0.5万平方メートル))は始まりに過ぎない。目黒区のホームページを参照してみよう。

【目黒区】自由が丘駅周辺地区のまちづくり(各地区の取組)

2024年には「自由が丘東地区」(0.9万平方メートル)の再開発が発表され、美観街を一掃して25階建てのタワーマンションを建てる計画が明らかになった。

また、2022年には駅前のビルの隣のエリア(「自由が丘駅前地区」(1万平方メートル))でも再開発準備組合が設立されている。ここにも高層ビルが建てられるとなれば、自由が丘駅周辺の風景は劇的に変わることになる。

『自由が丘ブランド』で述べられていた「この街が愛される理由」(15ページ)=「巨大なビルがなく、散策を楽しめるこぢんまりとした規模」(15ページ)は今まさに消え去ろうとしているのである。

再開発前の自由が丘駅前
※再開発前の自由が丘駅前

実を言うと『自由が丘ブランド』のプロローグですでにその方向性が示されていた。

大きなビルが建ってしまったら、この街の魅力である細街路を散策し、小さな発見をする楽しみはなくなってしまいかねない。今のままでいいという考えもあるかもしれません。しかし自由が丘には強力なライバルが次々と登場しています。

 同じ東急沿線の二子玉川、武蔵小杉がそれです」(9ページ)。

二子玉川と武蔵小杉
※左:二子玉川/右:武蔵小杉

二子玉川は自由が丘から東急大井町線の急行で6分、武蔵小杉は東横線の特急で4分の場所に位置し、一足先に大規模な再開発をおこない、タワーマンションと大規模な商業施設を建てた街である。

岡田は、この二つの街とくらべ、自由が丘の「コンパクトさ」が弱点になると述べているのである。

道路が狭いために大きなビルができない。商業を増やすことができない。(中略)大きな資本がないこの街で、私たちに何ができるのか」(11ページ)。

この言葉からは、隣接する街で次々と大規模な再開発がおこなわれるなかで自由が丘が取り残されるのではないかという焦燥感にも似た感情が見て取れる。

目黒区のホームページによれば、「自由が丘1丁目29番地区」の再開発準備組合が設立されたのが平成29年=2017年であるから、2016年にこの本が出版された時点で、自由が丘の再開発の旗振り役である岡田がすでにこの計画に関わっていたのはほぼ確実で、自由が丘は二子玉川と武蔵小杉の背中を追って現在の再開発に着手したことになる。

自由が丘駅前のビル遠景

限られた土地から、いかに多くの富を生み出すか――ここでもまた、不動産と資本主義をめぐる鉄則が浮かび上がってくる。あいつもこいつもやっている、自分もやらなければ負けてしまう。

しかし、「商業を増やす」(11ページ)ために高層のビルを建てた結果は、どこにでもあるチェーン店が増えるだけの結果を招くだろう。以前紹介した「ジェントリフィケーション」という現象である。

【note】『代官山再開発物語』を読んで「再開発がタワマンに行き着く理由」を痛感した

この中で、僕は「圧倒的に強力な動機は「土地の広さが同じなら、上に広げれば広げるほど儲かる」という、最近の東京を席捲している不動産の論理である」と書いた。

この一文と、『自由が丘ブランド』の「大きなビルができない。商業を増やすことができない」という嘆きのような言葉は、ぴったり符合する。

先日、2026年の秋のオープンに向け、駅前のビルの低層に入るテナントが発表された。

この記事では、「今回の再開発事業は、単なる巨大ビルの建設ではありません。「自由が丘らしさ」を牽引してきた老舗店舗と、現代のニーズに応える新しいライフスタイル店舗が共存する、街の記憶を継承するプロジェクトです。自由が丘一丁目29番地区市街地再開発組合は、自由が丘らしさを継承しながら、人にやさしい街づくりを目指し、街歩きがより楽しくなる新たな街並みを創出するとしています」と書かれている。

新旧のテナントが共存するというポジティブな書き方をしてはいるが、内容としてはかつてこの地にあった「モンブラン」や「一誠堂」をはじめとする「再入居した既存のテナント(オーナー)」に「資金力のあるチェーン店」が加わるだけである。

たとえば、「明治屋」が初出店と謳ってはいるが、都心ならいたるところにあるスーパーで(二子玉川にもある)、いわゆるプレミアムスーパーマーケットならばすでに「成城石井 自由が丘店」がある。スターバックスにいたっては今回の出店で4店目である。自由が丘のようなサイズの街にそんなにスタバが必要だとは到底思えない。

まだすべてのテナントが明らかになったわけではないので続報を待ちたいが、二子玉と武蔵小杉の背中を追いかけての再開発だからあまり期待はできないだろう。こうした大規模開発の中には新参の小規模な出店者が入り込む余地はないのだ。

地価も高騰し、建築費も高騰する中で、これだけの高層ビルを建てる以上、少しでもテナントから高い賃料をいただきたいというのが物件オーナーの本音だろう。僕も大家であるからその気持ちはよくわかる。その要望に応えられるのは、もはや大資本だけなのだ。それが資本主義と不動産をめぐる現実である。

二子玉川と武蔵小杉
※左:二子玉川/右:武蔵小杉

その意味では、全国どこに行ってもイオンモールのテナントが同じであるのに似た現象が、二子玉川、武蔵小杉、自由が丘などにおいても発生してくることになるのかもしれない。

しかし、経済活動のサイズばかりが大きくなっても、どこにでもある店しかない街ならば、わざわざ訪れようとする客は長い目で見て減っていくだろう。小さくても野心的で個性的な出店者に機会を提供できなければ、やがて街は衰えていくのではないか。

個人的な印象ではすでに衰退は始まっていて、最近の自由が丘には魅力的な新しいカフェが見当たらない。いっそ近隣の緑ヶ丘や奥沢、九品仏あたりまで足を伸ばしたほうが、小さくて個性的な新店に出会うことができる。

Slow Standard Coffee

たとえば、自由が丘と緑ヶ丘の中間地点に昨年オープンした「Slow Standard Coffee」は、住宅街の中に突然出現した小さなコーヒー店だが、美味しいブレンドがたった300円で飲める。こだわりのアインシュペナーですら550円で、手作りのお菓子はどれも美味しい。おまけに、道路から階段を降りてレコードの流れる店内へと入っていく隠れ家感も心地よい。大家としてもうらやましく思うような物件とテナントである。

こういうのは個人の店主が住宅街の中でやっているからこそ成り立つビジネスで、家賃が高騰し過ぎている自由が丘駅周辺では逆立ちしても真似できない。自分としては、四店目のスタバよりもこういう店こそ訪れたいし、応援したい。

だが、油断は禁物である。

自由が丘の商業エリアはじわじわと住宅街を侵食して拡大し続けているし、長らく安定していた住宅街の家賃も近年は上昇する兆しを見せている。その波に飲み込まれ、こういう個人店が消え去ってしまうことがなければいいのだが、と願っている。

アサクラ

大家業。世田谷のマンションと東京西部の山奥にある小屋を管理&経営しています。最近は熱海に購入したマンションの一室をDIYで修繕中。ESSE online(エ...

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