(375)真鶴に移住し、再び東京に戻った梅宮アンナさんのインタビューを読んで
今回は熱海のDIYの話はお休み。
「真鶴」というワードに惹かれて読んだ「文春オンライン」の梅宮アンナさんのインタビュー(インタビュアーは平田裕介氏)が面白かったので、感想を書いておこうと思います。
(なお、以下の文中に挿入された写真はすべて僕が撮影したイメージ写真であることをご了承ください)
記事はこちら。
【文春オンライン】「芸能人を続けたいんだったら、このままじゃ危険だよ」梅宮アンナ(50)が明かす、真鶴の家の売却を決めた“娘の一言”
【文春オンライン】「希望よりもずっと高い額を提示されたけど」真鶴の家を売却…梅宮アンナ(50)が語る、許せなかった“用途”
【文春オンライン】「アンナさんは一切表に出なくていいから。僕の目に狂いはない」梅宮アンナ(50)が明かす、〈真鶴の家売却〉の裏に“敏腕不動産屋の存在”
あの文春ですから、見出しだけを見るとなんだか不穏な雰囲気も漂いますが、それは読者を釣るための方便。内容は(お金のスケールが大きいものの)移住をめぐるよくある体験談です。
平たくまとめると「渋谷のマンションを売って父の遺した真鶴の別荘に移住したけれど、都心に仕事に通うのも大変だし、家のメンテにはお金がかかるし、気が滅入ってきたので別荘を売って、東京に戻って賃貸マンションを借りることにした」という話。
「通勤」「家族」「自宅の維持費」など、どれもありふれたトピックですが、この記事に先立つこと9カ月ほど前、同じく文春オンラインで真鶴に移住したばかりのアンナさんのインタビュー記事も公開されているのがポイント。
移住直後の「意気揚々とした気分」と、東京に戻って振り返る「移住生活の大変さ」の両方がそれぞれリアルタイムに語られているのを読みくらべると面白さが倍増します。
昨年の12月に公開された移住直後のインタビュー記事はこちら。
【文春オンライン】「父の棺には大好物を入れた」「“お疲れ様会”みたいにしたかった」…梅宮アンナ(49)が振り返る“父・辰夫との別れ”
【文春オンライン】「銀行から『貸金庫がある』と連絡が。変なものが入ってたらどうしようって…」梅宮アンナ(49)が語る、父・辰夫の死後“駆けずり回った10カ月”
【文春オンライン】「Uber Eatsないじゃん。無理無理無理」でも、ある出来事がきっかけで…梅宮アンナ(49)が語る、父・辰夫が愛した神奈川・真鶴の家に移住するまで
一般人、芸能人を問わず、移住にまつわる話は(一時点における)「移住してハッピー」か「移住して後悔」かのどちらかしかないことが多いので、こういう心の変化を感じられる記事は珍しいのではないのでしょうか。
(以下の文中では、移住直後のインタビューを「2021年」、東京に戻った後のインタビューを「2022年」とし、区別して引用しています)
■意気揚々と引っ越して真鶴を気に入るが……
海好きだった梅宮辰夫さんは、200平米(!)あったという松濤のマンションを売り払って、2018年に真鶴の別荘に移住しました。この家はちょうど真鶴道路の通るトンネルの上あたりに位置しており、海を一望できる最高の立地。熱海周辺でもこれだけの眺望を持つ戸建てはそうそうないと思われます。
アンナさん自身、「ここからの景色は値段が付けられない」(2021年 #3 2ページ)と言っていますが、インタビュー記事では窓々から海を臨める室内を垣間見ることができます。
中央の作業台を取り巻くように窓とカウンターが配されたキッチンは料理好きだった梅宮辰夫さんが作ったこだわりの空間。また、アンナさんがリフォームしたというバスルームは窓ガラスを突き合わせたコーナー窓から海が一望できるという贅沢な造りです。これらの写真を見ているだけでも僕は十分に楽しめました。
辰夫さんが体調を崩してからアンナさんは渋谷のマンションから足しげく真鶴に通ったそうですが、父の死後、庭の木が腐って倒れてしまったのをきっかけに真鶴への移住を決めることになります。倒木一本処理するのに30万かかったけれど、不思議と高いとは感じなかったそうで……
「賃貸にお金を払うんだったら、この家を綺麗にすることにお金を使ったほうがいいなって」(2021年 #3 3ページ)。
のちのちアンナさんが回想していますが、この時点では「意気揚々と東京を去って「ここでずっとやっていくんだ」」(2022年 #1 1ページ)という前向きな気持ちがみなぎっています。
「夜は真っ暗で何も見えなくなっちゃうんだけど、朝がくると「ここって、素晴らしいなぁ」と毎日思います。最初のうちは、すぐに飽きるかなと思ってたんですけどね」(2021年 #3 2ページ)という言葉や、「東京よりは真鶴の暮らしのほうが、いまは合っている気がする。Uber Eatsなくてもいいやって。なきゃないで大丈夫って」(2021年 #3 3ページ)という言葉には、新しい環境の新鮮さに感動するあまり、東京で謳歌していた便利さが不要なものであると思う気持ち(錯覚?)がにじみ出ているのです。
かくいう僕も、まだまだ熱海初心者ですから「海って毎朝、表情が変わって見ていて飽きない」なんて思ったりすることもあれば「この景色が見れるなら多少の便利さをあきらめていいかな」なんて思ったりもします。こういうのって新しい環境を手に入れるときの独特の高揚感が意識の背景にあるせいなのかもしれませんね。
しかし、週末に過ごす別荘ならともかく、移住はそんなに甘くはありません。アンナさんの移住生活はわずか一年足らずで終わりを迎えることになるのです。
■クルマで東京に仕事に行くのは大変
まず、最初に挙げられた理由は通勤の問題。
梅宮アンナさんは芸能人ですから、毎日決まった時間にオフィスに通うわけではありませんが、結局、仕事のために毎日のようにクルマで東京に行かねばなりませんでした。
「車で東京に行く場合、首都高の渋滞が始まる朝6時前には用賀を抜け出さないといけないから、逆算して朝4時45分に家を出るんです。そうやって早めに東京に着くけど、渋谷で11時からの仕事というスケジュールだったら、それまで車で寝てるしかなくて」(2022年 #1 1ページ)
みんなと一緒の時間に同じ方向に向かうと渋滞に巻き込まれるのがクルマの弱点ですが、それを避けようとして動くと余った時間をつぶさなければならないのもツラいところ。
僕のマンションも梅宮さんの家からクルマでそう遠くない場所ですから、この距離感覚、よくわかります。朝4時に家を出るくらいなら電車を使ったほうがいいのでしょうが、電車だって混みますし、仕事柄、持ち運ぶ荷物も多いアンナさんにはその選択肢はなかったそうです。
「会社勤めだったらこれが普通だろうけど、衣装やメイク道具を抱えて電車を乗り継いでスタジオに入るのって現実的なのかな」(2022年 #1 1ページ)
まあ、芸能人が電車はツラいでしょうし、眺望の素晴らしい戸建ては、大抵、駅から遠いので、最寄り駅までのアクセスからして通勤のハードルになるんですよね。熱海の物件を探したときも、駅から徒歩圏内は値段が高かった記憶があります。やっぱり駅近って大事なんだな、と。
しかも、自分で物件を買うならそういう点も考慮に入れられますが、親から物件を受け継ぐとなると話は別でガマンならない不自由さも含めて受け入れる必要があります。
このあたり、祖父~母と続いた山の家を受け継いだ僕にはとても納得できる話で、「なんでこんなムダな増築するんだよ」とか「なんでこんなしょうもない家具を買ったんだよ」とか、いつもぼやきながらリフォームしたり片付けしたりしています。
そういえば、僕が山の家に住んでいたとき、仕事の関係で六本木まで行くことが多かったのですが、駅までの歩きを含めると片道3時間くらいかかりました。午前中、六本木で仕事をして、戻ってきて午後から友だちと河原でバーベキューとかしたこともあったな……あのときは20代だったからできたけど、今はとてもムリです。
リタイア後の移住ならともかく、東京でコンスタントに仕事をしながら移住するには「リモートワークできる仕事環境」か「通勤の手間をものともしないバイタリティ」のどちらかが必須なのでしょう。
■四六時中、母と向き合うのは大変
アンナさんの場合、一緒に暮らす家族の問題も大きかったようです。
お母さんのクラウディアさんが真鶴という土地に思い入れがなかったのも不運でした。すでに移住直後にアンナさんはこう語っています。
「2018年の4月に松濤の家を売ってから父と母はここに住むようになったんですけど、自分の意志で移り住んだわけじゃなくて、奥さんとしてついてきたことも、母にとってはすごくストレスで。父はこの家が好きで、一日中海を見てたら幸せな人なのでいいけど、元々母は都会が好きで海なんか興味ないから」(2021年 #1 3ページ)
海が好きな夫について海沿いの家に移住した矢先、その夫に先立たれて、好きでもない土地に残されてしまう……アンナさんの移住の背景には、そんなお母さんを心配する気持ちもあったにちがいありません。
お母さんにとっては娘が来てくれるのはうれしいことだったのでしょうが、今度はアンナさんがストレスを感じることになります。
「真鶴だと、やることがないし、お友達もいない。ママと向き合って、ママのお世話をするだけの、私とママだけの生活。
2人だけだと煮詰まっちゃって。私が夕方の6時に寝ようとすると、「もう寝ちゃうの?」とママが悲しがるんです。それで、私も「何時に寝ようが関係ないじゃん」みたいに思っていて。そういうイヤな雰囲気が生まれてしまうというか」(2022年 #1 3ページ)
適度に距離があるとうまくいく家族関係も、密着するとギクシャクするもの。それが、東京から隔絶された土地ならなおさらのこと。
こうして家族との暮らしに行き詰ってくると、去年は海を見ていても飽きないと言っていたアンナさんの心も変わります。
「正直、真鶴にいると自分が取り残された感はありました。ずっと窓から海を見ていても静止画みたいだから、自分まで止まっちゃうんですよ」(2022年 #1 2ページ)
海が一望できるのって素晴らしいし心が安らぐんだけど、静逸感がありすぎてずっと見てると自分が捕らわれの身にでもなったような気持ちになることがあります。
意気揚々と移住するポジティブな気持ちのときには輝いて見え、暮らしに倦んでくれば淀んで見える……海は人の心を映す鏡のような存在であるといえます。
それはともかくとしても、海や山奥のアクセスの悪い土地に暮らすことは向き不向きがあることで、アンナさんは「合わない側」の人間だったのでしょう。
では、僕はどうかといえば、山奥の家にひとりで住んでいたときもありましたが、孤独はまったく苦ではありませんでした。冬の寒い山の家でこたつに入ってデスクワークして、気晴らしに本を読んでそれで満たされていました。
しかし、それも若かったからで、中年になった今では自分がそんなふうに暮らしていたのが信じられない気持ちもあるくらいです。結婚してマンションの管理を引き継いだ現在、都会に暮らして山や海に遊びに行くくらいがちょうどよく、移住はとても考えられません。
■古い家を維持するのにお金がかかって大変
ずっとマンション暮らしだったアンナさん。いざ一軒家に住んでみると、お金がどんどん出ていくのに戸惑ったというのも移住あるあるかもしれません。
外壁の補修塗装に100万、古くなったシャッターの交換に100万、草木の剪定など敷地の管理に年30万……とリアルな数字が出てくるのも興味深いです。へえ、立派な別荘の維持管理ってこれくらいかかるのか、みたいな。
旧式のボイラーからエコキュートに切り替えようとしたら、家のサイズが大きいので見積もりは100万で、しかも、折からの半導体不足でなかなか入ってこなかったなんて話も。
「正直、この1、2年は自分の洋服とか買ってなくて。すべて、おうちに持っていかれちゃうんですね」(2022年 #1 2ページ)
あの梅宮家ですら家の維持費に追われるように暮らさざるをえなくなるというのも驚きでした。
お金といえば、先ほど触れた海一望のバスルームも含め、アンナさんが暮らす4階部分のリフォームには700万円ほどかかったそうです。
なんだよ、そんなに使ってるんだから「おうちに持ってかれる」なんて贅沢じゃねえか、と言うなかれ。
これは推測ですが、東京での暮らしを捨てて、父が遺した真鶴の家に引っ越すと決めるには、それくらいお金をかけて、父の家を自分の家に変えてしまうくらいの工事が必要だったんだろうなと思うのです。気持ちに踏ん切りをつけるというか、そうやってカスタマイズしたからこそ「意気揚々と引っ越す」ことができたといいますか。
もちろん、これもまた移住者がはまる失敗の典型で、ずっと住むと思い込んで大枚をはたいて家を立派に仕上げたのに手放すことになるのもよくある話なのですが、物件を取得したばかりの自分には他人事には思えませんでした。
今は、これからの熱海ライフを満喫すべく意気揚々とDIYに励んでいますが、意外に近い将来、後悔して手放すはめになったらどうしよう、なんて不安な気持ちになりました。
アンナさんが東京に戻ると決意した直接の契機はボイラーの故障だったそうです。12月25日の仕事を終え、年末年始の買い物をして真鶴へ戻るとボイラーの故障が発覚し、お風呂にも入れない状態になり、いろいろと手を尽くしてなんとか修理したものの、ほとほと疲れ果てたアンナさんは、ついに真鶴生活にピリオドを打つと決意します。
そのときを振り返り、アンナさんは亡き父親の影にとらわれていたことに気づきます。
「この家を大事にしなきゃいけない!」っていう、パパからの無言の圧力みたいなものもありました。私としては亡くなった後のほうがその圧を強く感じて。「そういうものかな」と思って動き続けてきましたが、気が付いたらヘロヘロになってたみたいで。」(2022年 #1 4ページ)
「亡くなったお父さん(お母さん)が喜ぶ/悲しむから…」式の発言はよく耳にしますが、死んで骨になった人間が泣いたり笑ったりするはずもなく、結局は話している人の内面の発露でしかないわけですが、義務感が強くて真面目な人ほどこうやって亡き家族の視線から自分を追い詰める傾向にあるような気がします。
アンナさんもこのタイプで、おそらくは父の遺志を継がねばならないという義務感や、母をひとりでいさせてはならないという義務感に強く縛られていたのでしょう。
その意味では、アンナさんが真鶴に移住したことや、それに疲れ果てて手放すことを決意したことの奥底には家族をめぐる葛藤のドラマがあったのだと思いました。
さて「家を手放す」といっても、そう簡単にいかないのが別荘売買の世界。どんな不動産屋さんに仲介をお願いし、最終的にどんな売り主さんと出会ったのか……長くなりましたから、それらのエピソードについては冒頭に挙げたインタビュー記事を実際に読んでみてください。
閑話休題。次回は再び熱海のマンションに戻り、キッチンをリフォームします。