(754)【note再録】『コミュニティシップ』(とその裏側)で下北沢再開発の特殊性を知る
今回は、noteからの再録記事をお届けします。
【note】『コミュニティシップ』(とその裏側)で下北沢再開発の特殊性を知る
以下、noteに掲載した記事とまったく同じ内容ですので、お好きなほうでお読みいただければと思います。
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『コミュニティシップ』(とその裏側)で下北沢再開発の特殊性を知る
前回、『ジェントリフィケーションの功罪』を読んだ。
(743)【note再録】マンション大家が『ジェントリフィケーションの功罪』を読んで考えたこと
ジェントリフィケーションをめぐるさまざまな事例が取り上げられる中で、個人的にもっとも興味をそそられたのが下北沢の再開発であった。

『ジェントリフィケーションの功罪』の中では再開発がもたらした「罪」の部分が強調されている印象があったが、実際に街を歩いてみると低層で圧迫感のない建物の中に下北沢らしい小さな店がならび、随所に緑も配されていて好感を抱いた。
駅まで含めての再開発というと、高層ビルやタワマンを建ててどこかで見たことのあるテナントを誘致するという手法ばかりが目立つ東京において「なぜ下北沢の再開発はありがちなものにならなかったのか?」は大変興味深いテーマだと思えてきた。
もっと知りたいという思いで関連書籍を探してみると…

他の街とくらべて下北沢の再開発に言及した書籍や雑誌の特集は群を抜いて多いのである。東京では各所で再開発がおこなわれてきたが、こんなふうに何冊も書籍が出版されているのは下北沢だけと言っても過言ではない。
こうなると、「なぜ、人はこんなに下北沢について語りたがるのか?」という疑問も湧いてきて端から順に読んでいくことにしたのだった。
で、最初の一冊はこれである。

橋本崇・向井隆昭(小田急電鉄株式会社 エリア事業創造部)編著、吹田良平監修『コミュニティシップ』(学芸出版社、2022年)だ。
「なんだよ、いきなり開発側のお手盛り本かよ」と思うなかれ。
鉄道会社が駅と線路跡を再開発するなどと聞けば、嫌な予感が満載になってダダ漏れになってしまうところだが、この本には当てはまらないと断わっておきたい。ご一読いただければ、このご時世によくぞ鉄道会社がここまで地元に寄り添って開発できたものだという感想を抱くはずである。
とはいえ、一企業の名を冠した本だから意図的に語られなかった(強調するのを避けた)と思しき大切な情報もいくつかある。別の角度から書かれた書籍で「裏側に隠れている情報」を補いつつ下北沢の再開発について概要をつかんでみたい。
■小田急が支援型開発「下北線路街」を手がけた経緯
序文によれば、プロジェクトの概要はこうだ。
2004年から2019年にかけて小田急は代々木上原駅から梅ヶ丘駅にかけての鉄道を地下化した。

それに際して「約3万5000世帯が暮らす全国有数の住宅街」(13ページ)である下北沢を中心に、その前後に位置する「東北沢駅から世田谷代田駅に至る3駅間、全長1.7キロメートルに及ぶ鉄道跡地開発」(13ページ)がおこなわれることになったのである。
この「下北沢地区上部利用計画」(13ページ)は2017年から本格化し、やがて「下北線路街」(14ページ)と名付けられ、2022年5月にひとまずの完成を見ることとなった。
橋本崇(小田急エリア事業創造部の課長、本書の編著者)によれば、このプロジェクトの背景には「予測不能の時代の到来」(14ページ)があるのだという。
かつて安定成長を謳歌した日本は人口減少時代に突入し、パンデミックやAIなどの影響もあり、これまでの画一的な都市計画が通用しなくなってきた。
鉄道事業でいえば、「鉄道利用者を対象にターミナル駅周辺を中核として業務施設や商業施設を開発し、またサービスを画一化して沿線に横展開することでお金と時間を費やしてもらうという文字通りの直線的なビジネス」(15ページ)が成り立ちづらくなってきたのである。
こうした時代を踏まえ、「容積をフルに生かしたビルを建て、財務的にリスクの少ない大手企業に入居してもらい、開業を終えたら管理部門に引き渡す」(16ページ)という「施設開発(アセット型開発)」(16ページ)ではなく、「コミュニティシップを支える支援型開発」(17ページ)を選んだのであった。
本書のタイトルともなっている「コミュニティシップ」という言葉は「地域住民が街や街の人と積極的に関わり・楽しむ姿勢」(19ページ)を意味しているという。それはすなわち、下北沢という街の再開発に地域の住民が参加するという意味に他ならない。
■地元民が活き活きしていれば、お客さんや新しい住民が集まってくるはずだ
面白いのは、橋本らが再開発のターゲットを、外部からの来訪者(観光客)ではなく、既存のコミュニティ(地元民)に定めたところである。
通常の再開発において重視されるのは新規顧客である前者であり、観光客を集めることで今まで以上の賑わいを生み出そうと画策する。
しかし、橋本らは真逆の方法論を選んだ。「地元の日常は非地元住民にとっては非日常」(40ページ)であり、「街の文化や雰囲気づくりの担い手であるD層[※引用者注:既存コミュニティ]を分厚くすることで、新しい価値の担い手を引き入れ、相乗効果で街の魅力を高めていこう」(40ページ)と考えたのである。
これは再開発において「コロンブスの卵」的な発想の転換だと言ってもいい。
思えば、観光客を集めようという試みは、地元住民をないがしろにし、文化の空洞化を招くリスクと隣り合わせなのだ。

たとえば、以前紹介した自由が丘の「スイーツフォレスト」である。テーマパーク開発のノウハウをベースに有名パティシエを巻き込んで、開業当初こそは多くの来場者を集めたものの、人気が低下してからは韓国スイーツのテーマパークにリニューアルするなどの迷走を経て2024年に閉園した。
僕の感覚では、「スイーツフォレスト」は自由が丘近辺に住んでいる地元民のニーズと明らかにずれたサービスを提供していた。「地元に自分の生活とは無関係な観光施設がある」と見なされていたと思う。当然、ブームが去って観光客が消えれば誰もいなくなる。

いわゆる再開発ではないが、前回の記事で紹介した京都の錦市場なども、地元のお客さんを捨てて観光客に全振りした商売スタイルに方向転換をしており、もはや「庶民の台所」という文化は消滅しつつある。
こうした根本的な問題に対して、地元民が活き活きしていれば、お客さんや新しい住民が集まってくるはずだという考え方にもとづく再開発は至極まっとうである。
■サブリースによって下北沢らしい個店が集まる空間を創る

『ジェントリフィケーションの功罪』でも指摘されていたが、個人の営むお店(個店)が多いことが下北沢の個性をかたちづくっているのはまちがいない。
しかし、再開発で個人店を増やすのはなかなか難しいのが現実である。というのも、「小田急電鉄のような安心安全を大事にする鉄道会社では、信用リスクの観点から個人事業者と賃貸借契約を結ぶのはハードルが高い」(43ページ)からである。
そのリスクを避けた結果が「入居するテナントは資本力のあるチェーン店ばかり」(43ページ)という現状である。なるほど、再開発でできた商業施設を訪れると「中身はどこかで見たことのあるようなテナントばかりだな」と感じてしまうのはそういうわけなのだ。
そんななか、橋本が選んだのは小田急と個人事業者との間に「マスターレッシー」を挟む「サブリース」という選択肢だった。平たく言うと、小田急がサブリース業者(マスターレッシー)に不動産を貸し、その業者が個人事業者と契約を結ぶやり方である。
図にしてみよう。

上が従来の直接契約、下が下北沢の開発に差して小田急が選んだサブリース業者を挟むやり方である。
サブリース業者と聞くと、ワンルームマンション投資などで悪役として登場する「転貸業者」という印象が強かったが、ここでは小田急と個人業者の間を取り持つポジティヴな存在なのに驚く。
小田急にとってサブリースはリスクを回避できるメリットがある反面で直接契約よりも収入が減るというデメリットもある。一方、サブリース業者のほうは小田急に代わって個人事業者と契約するというリスクを負うことになる。
その役目を引き受けたのが「散歩社」であった。「散歩社」は橋本が今回の開発にあたって相談をした小野裕之が立ち上げたマスターレッシーである。
ソーシャルビジネスに通じた小野は、サブリースならではの自由度を活かして個性的なスモールビジネスを営む事業者を集め、「BONUS TRACK」を作り上げた。

訪れてみるとわかるが、「BONUS TRACK」はいわゆる商業施設とは異なり、小さな街のような雰囲気を持つ商店街である。それもそのはず、ここはもともと「長屋をイメージした個人商店チャレンジブロック」(42ページ)として企画された。「起業しやすい5坪程度の店舗区画と同じく5坪程度の賃貸住宅を2階に載せた、文字通りの現代版長屋」(42ページ)なのだ。

感心したのは、その発想をしっかりと具体的な建物の造りに落とし込んでいる点である。設計を手がけたツバメアーキテクツのインタビューによれば、新しくできる「BONUS TRACK」が周囲に違和感を与えないようにするために、「以前から存在していた建物のように感じられるよう、建物のボリュームや屋根を分節することで周辺の住宅と規模を合わせて」(103ページ)いるという。「建物を構成する要素には特殊なものは用いず、街中でよく見られる引き違いの窓・庇・バルコニーといったものの組み合わせで設計」(103,104ページ)しているそうだ。

また、その運用についても、通常のテナントとは異なり、「手を加えることができる外壁」(81ページ)や、ベンチなどを置くことのできる「コンクリートの張り出し部」(80ページ)などを設けて、それぞれの商店が個性と賑わいを生み出せる環境を用意している(詳しくは本書80,81ページ「デザインルールで見るBONUS TRACK」を参照されたい)。
実際に歩いてみれば、その街並みが個人店ならではの親しみやすさを湛えているのがわかるはずだ。「コミュニティシップを支える支援型開発」というお題目にも見えがちな概念を、こうして形にした小田急と散歩社は大したものである。
同様のサブリースによる開発は、「BONUS TRACK」とは反対に位置する東北沢側の「reload」や、下北沢駅前の「(tefu)lounge」でもおこなわれており、個性的な再開発に一役買っている。
橋本ともに再開発を手がけた小田急の向井隆昭によれば、サブリースという選択肢を選ぶことで、橋本や向井ら現在の担当者が離れたあとも、「マスターレッシー」が当初の「思いを残す」(46ページ)かたちで運営を続けていけるという狙いもあるという。
向井曰く「担当者の異動で方針が変わったら、『賃料を上げてコンビニを入れたら』みたいなことも起こり得ます」(46ページ)とのことで、長い目で施設の将来を考えている点も周到である。
■街づくりに参加したい住民の要望に応える再開発をめざす
小田急がこのような「支援型開発」を選んだ大きな理由が下北沢周辺の住民の熱意であった。
2017年7月、リーダーとしてプロジェクトに加わった橋本は、9月に地元住民でつくる「北沢PR戦略会議」に参加し、「街のこれからに関する前向きで活発な議論が盛んに交わされていたこと」(28ページ)に驚いたという。
「何をするか一緒に考えよう。自分にはこういう“やりたいこと”がある」(29ページ)という住民の姿勢に感銘を受けた橋本らはより深く地域について知る必要を痛感し、「PR戦略会議の各部会の中心人物や商店街の理事、地主、各種団体の代表など約100人」(35ページ)に会って話を聞いたという。後述するが、皆が皆、開発に好意的だったわけではないから、さぞかしタフな経験だったことだろう。
本書には、テナントに出店している店主たちや、一般社団法人の代表、地元の商店連合会の会長や地主など、小田急の協力業者以外のさまざまな人々も証言を寄せている。小田急サイドが作った本書に彼ら(彼女ら)が顔を出して証言していること自体、このプロジェクトが広く受け入れられた証である。
こうした情報収集と準備期間を経て2019年に小田急電鉄は京王電鉄とともに共同記者会見を開き、開発計画を公に発表した。ここで初めて「支援型開発」というコンセプトも明らかにされた。
周到な準備のおかげで、計画は多くの住民に歓迎されることとなった。橋本曰く「デベロッパーはサポート役でよい、という考え方に確信を持てた瞬間でした」(57ページ)。
この正式発表と同時に、「下北線路街 空き地」がオープンした。

運営するUDSのホームページによれば、ここは「みんなでつくる自由なあそび場」である。
この場所をどんなふうに使いたいか、アンケートを元に住民たちにやりたいことを募って活用が始まったのだという。「オープン当初から続くラジオ体操」(64ページ)はその顔とも言えるイベントだそうである。そのほか「月に一度のフードマーケットが開かれたり、音楽ライブがあったり、子ども向けの体験コーナーやショップが集まるイベントが催されたり、週末ともなれば“必ず何かが行われている”場所」(65ページ)となっている。

僕が訪れた5月には「下北線路祭」に向けた設営準備中であった。ラジオ体操からフェスティバルまで、住民が関わる大小のイベントをおこなう場所を設けたことは「下北線路街」が成功した理由のひとつかもしれない。

そのほか、「シモキタ園藝部」による緑地の管理・運営など、随所に住民が参加できる場所が設けられている。
全体的に「作り込みすぎない、きれいにしすぎない」ところも個人的に好感を持てた。なんというか、いい具合に力が抜けているのである。ピカピカキラキラした東京の再開発の中では異色だ。

実のところは、能力も意識も高い人間が隅から隅まで目配せして作り出した「余白」だともいえるのだろうが、来訪者を威圧しない、親しみの湧く空間とイベントを提供しており、下北沢という街によくなじんでいるのだからそれでよい。
本書を読み、「下北線路街」を実際に歩いてみれば、「支援型開発」がコンセプトにとどまらず、しっかりと具現化されていることがわかるはずだ。個人的には下北沢の再開発は成功していると感じられた。
■『コミュニティシップ』の裏①「市民運動」が小田急に「支援型開発」を強いた?
さて、ここで冒頭の問い「なぜ下北沢の再開発はありがちなものにならなかったのか?」に戻ってみよう。
『コミュニティシップ』を読んではっきり感じられるのは、下北沢住民の街づくりに参加したいという貪欲なまでの意欲と、それに呼応するかのようにプロジェクトをかたちにした橋本をはじめとする小田急電鉄の担当者の熱意と能力の高さの二つだ。
後者については本書を読めば十分に感じ取れるが、前者については『コミュニティシップ』に書かれた情報では不十分で、あるていど街づくりの歴史について補足しなければ理解しづらいかと思う。
実は、『コミュニティシップ』では申し訳ていどに触れられるだけであるが、下北沢では補助54号線という道路の建設をめぐって、古くから「市民」と行政・鉄道会社が対立してきた歴史がある。
これについては、明治大学の小林正美がたびたび書いている。まとまった書籍としては高橋ユリカとの共著『シモキタらしさのDNA』(エクスナレッジ、2015年)があるが、
その後の流れを含めてわかりやすいのは雑誌に小林が寄せた論考だと思う。

「対立から対話へ」(世田谷区長保坂展人との対談)『建築ジャーナル』2024年4月号所収
「「下北沢の街づくり」の今」『造景 2022』所収(建築資料研究社、2022年)
どちらも開発がほぼ完了してからその概要を振り返る内容であり、小林の論考以外にも興味深い記事が多数収録されていて下北沢を考えるには必読である。
この中から情報をピックアップして大まかな流れを整理しよう。
「そもそもの発端は、交通渋滞を生む踏切をなくすための連続立体交差事業(国、都、事業者による費用分担)の必要条件に2本の道路との交差が規定されていたことから、1946年に都市計画決定されたが事業化されずにいた都市計画道路補助54号線(幅員26m)を改めて事業化する方針を、世田谷区が2003年に打ち出したことから始まる」(『造景 2022』42ページ)のだという。「開かずの踏切」を解消するための工事自体は多くの人々が望む工事だったはずだが、これがはるか昔の道路計画と抱き合わせのような形で強引に進められることに抵抗を感じる人々が多くいたようだ。
また「道路計画と並行して発表された地区計画のイメージも、あまりに下北沢に似つかわしくないもの」(『建築ジャーナル』2024年4月号4ページ)で、「下北沢に新たな地区計画をかけ、下北沢特有の狭小道路においても中高層の建物が建てられる構想」(『造景 2022』43ページ)だったそうである。
これに反対するかたちで「意識の高い住民や下北沢を愛する市民」(『造景 2022』43ページ)を中心に反対運動が巻き起こったが、当時の行政はこれに取り合うこともなく、2006年に強行採決のかたちで補助54号線に事業認可を与えることとなり、その後は反対派の法廷闘争などもおこなわれ、対立は激化した。
しかし、「市民運動」の後押しを受けたリベラル派の保坂展人が2011年に区長に就任したあたりから潮目が変わり、道路計画の第二期と第三期工事が優先事業から外されることとなる。同時に、「世田谷区の街づくり課が、「北沢デザイン会議」という市民、行政、事業者間のラウンドテーブル的な会合の枠組みをくみたて、2014年から小田急線の上部空間のデザインと下北沢のまちづくりについて話し合いやワークショップを定期的に開催する」(『建築ジャーナル』2024年4月号6-7ページ)ようになる。
すると「それまで顔を出さなかった小田急電鉄も当初の対話拒否の態度から徐々に対話重視に変化し」(『造景 2022』44ページ)、『コミュニティシップ』で描かれた支援型開発へとつながっていく道筋ができたのである。

『コミュニティシップ』で語られた「下北線路街」にはこのような前史があり、「市民運動」を理解することなしに下北沢の再開発は理解できないのである。
ちなみに、僕が住んでいるのも世田谷区だが、この種の「市民運動」があまり盛んではない南側のエリアなので、まったく別の地域の話を聞いているような印象を受けた。どちらかといえば、下北沢は高円寺などを擁する杉並区に近い文化圏なのだと思う。
ごぞんじのとおり、「市民運動」というものは行政や企業と対峙する際にはかなりの「圧」を発揮するものである。保坂市長の誕生の経緯も含めて「市民運動」が小田急に与えた影響はかなり大きかったのはまちがいない。
小田急が「支援型開発」に舵を切ったのも、こうした下北沢の苛烈な「市民運動」に直面し、地元のほうを向かざるをえなくなったという事情も多分にあったのではないか。少なくとも、「住民の熱意に企業が応えた」という単純な美談ではないだろう。
このあたり、『コミュニティシップ』のような企業サイドが中心になって発信する書籍では立ち入った言及ができないのは当然なのではあるが、下北沢の再開発を理解するにはぜひとも押さえておきたい点である。
■『コミュニティシップ』の裏②高層ビルが建てられない大前提はもっと強調されるべき
しかし、このような「市民運動」の存在感を考慮に入れてもなお、小田急が「支援型開発」を選んだ理由がいまひとつ腑に落ちなかった。
橋本の言う「容積をフルに生かしたビルを建て、財務的にリスクの少ない大手企業に入居してもらい、開業を終えたら管理部門に引き渡す」(16ページ)という従来の手法が時代遅れになりつつあるのは事実かもしれないが、都内の再開発ではあいかわらず何度もくりかえしこの手法が選ばれ続けているのだ。
理由は簡単、「そのほうが儲かるから」だ。
なのに、「本来、利益を最大限に追求するはずの企業である小田急が、なぜ直接的・短期的利益をあきらめてまで、支援型開発を選んだのか」が、『コミュニティシップ』で説かれた理念を読んだだけでは、どうしてもわからなかったのである。
そんな思いを氷解させてくれたのが、この本である。

『人工減少時代の再開発 「沈む街」と「浮かぶ街」』(NHK取材班、NHK出版、2024年)だ。
下北沢については一部抜粋をネット記事(前回、引用した)でも読むことができるものの、下北沢の再開発についてまとめた第4章は短いながらも情報が過不足なくまとめられており、全体像を把握するのにもおすすめである。
本書では『コミュニティシップ』の著者でもある小田急の向井に取材し、下北沢についてこうまとめている。
「このエリアは地下に線路が通っていることもあり、地上の建物には重量制限などの制約があった。つまり、一般的な再開発のように収益性の高い高層ビルを建設することはそもそも困難な場所だったのだ」(『人工減少時代の再開発』160ページ)
この一文を初めて読んだとき、僕はかなり驚いた。
下北沢の再開発は、いわゆる高層ビルやタワマンを建てることが構造的に不可能だったという決定的な事実を出発点にしていたのだ。
向井本人もこう述べている。
「高さのある建物をつくれない=事業性があまり高くない、と考えていました。大手のチェーン店やスーパーからはあまり需要が見込めないので、出店できないというヒアリング結果が出ていました。大手チェーンの出店はなかなか難しいエリアなのだなという認識を持ち、正直、どうしたらいいものだろうかと思っていました」(161ページ)。
この説明で読んでようやく「なぜ下北沢の再開発はありがちなものにならなかったのか?」に納得がいった。つまり、「デカくて高いビルを建ててチェーン店を呼び入れるという再開発の典型的な手法が下北沢では使えない前提があったから、他の手段を模索せざるをえなかった」というのが実情だったのだ。
これにくらべると、『コミュニティシップ』で展開された、「予測不能の時代」(『コミュニティシップ』14ページ)の到来を背景に、「施設開発」に限界を感じて「支援型開発」を選んだという説明は、肝心な前提が抜け落ちた(隠された?)抽象論に見えてしまう。
もちろん『コミュニティシップ』は小田急サイドが欠いた本だから仕方ない。再開発の成功例としてアピールする手前、「高層ビルが建てられないから、支援型の開発になりました」なんて消極的な物言いができるはずもなく、ああいう曖昧な書き方にならざるをえなかったのだろう。

だが、もし「自由が丘ミューズスクエア」のような、「大井町トラックス」のような、「二子玉川ライズ」のような、「収益性の高い高層ビル」が建てられたのならば、小田急が「市民」の反対を押し切ってでも強硬に再開発を進めていた可能性は十分にあったのではないか。
そもそも「施設開発(アセット型開発)」が選択できない構造的な制約があったという事実からすべてが始まっていることは、下北沢の再開発を考えるうえでもっと強調されるべき大前提なのだと言っておきたい。
■下北沢の再開発がありがちにならなかった理由は特殊な条件の重なり合いにある

橋本は『コミュニティシップ』でこう言っている。
「下北沢だからできた、と言われたくないんです」(73ページ)。
というのも、「下北沢で取り組んだこの手法を一つのプロジェクトだけで終わらせず、今後の開発指針にしたいからだ」(73ページ)そうだ。
しかし、もろもろの事情を知れば知るほど、「下北沢だからできた」としか思えなくなってくる。
「なぜ下北沢の再開発はありがちなものにならなかったのか?」といえば、「高層ビルが建てられない」、「市民運動が盛ん」、「デベロッパーの担当者が有能」といった稀有な条件が重なり合った結果であり、正直に言って再現性はかなり低い。たとえば、自由が丘の再開発にはどれひとつとしてあてはまりそうにない。
この「特殊性」ゆえに「下北沢の再開発をお手本に我が街の再開発を考えよう」などという話はそう簡単ではないことになるだろう。

それでも学ぶことは多い。
渋谷からわずか10分ほどの街で「既存の街との調和をめざすような低層の建物で構成される再開発がおこなわれた」という事実は、古い街並みをありがちな高層ビルやタワマンで安易に置き換えるというやり方に疑問を抱くきっかけを与えてくれるし、再開発の一部始終についてこれだけオープンに情報が公開され、活発な議論が交わされ、僕のようなよそ者の素人でも容易にアクセスできることも素晴らしい。
最近、建築費があまりに高騰しているため、東京のいたるところで再開発がストップする事態が続いている。
「お金がなくて高層ビルが建てられない」というのも悲しいものがあるが、ひょっとしたら、こういう苦境を逆手に取るかたちで再開発のあり方が変わっていく可能性もあり、どこかで新しい低層の街並みが生まれることに期待したい。
■「とりあえず下北沢みたいな街にしたい」だと!?
最後に蛇足だが、下北沢の特殊性について最後にひとつ面白いエピソードを紹介しておこう。
佐賀県の知事が、「とりあえず下北沢みたいな街にしたい」と発言したという話がある。
【朝日新聞】佐賀で電通など事業 知事「下北沢みたいに」
朝日新聞の記事である。
まあ、地方のお偉いさんがうっかり口を滑らせたというトホホな失言なのだろうが、これを『ジェントリフィケーションの功罪』の編著者である服部圭郎が、データに基づいて徹底的に批判していて面白い。前掲の『造景 2022』に収録されている「都市空間としての下北沢の魅力」という記事で、たとえば、こんな一文。
「下北沢には規模は大きくないが21のライブハウス、8の小劇場がある。ちなみに、上述した知事の県にはトータルでライブハウスが三つしかない」(『造景 2022』68ページ)
こんな具合に、佐賀県と下北沢のデータで比較しながら両者の違いを浮き彫りにし、下北沢が簡単に真似られるような街ではないことを執拗に論じていくのだが、佐賀県とも下北沢とも関係のない僕ですら「お願いだから、それくらいにしてあげてー」と悲鳴を上げたくなるような詰め具合である。
正直、知事のほうも「とりあえず」なんて余計な言葉さえ言わなければそんなに突っ込まれなかったのにと思う気持ちもあるが、この発言が「大型公共事業「SAGAアリーナ」の模型を囲むようにして話した」(朝日新聞の記事より引用)中で発せられたとすると、何がどう「下北沢みたい」なのかいよいよもってさっぱり見当もつかず、批判したくなる気持ちもまあよくわかる。
以前取り上げた代官山のヒルサイドテラスもそうだが、街にはそれぞれの歴史や地理に基づいた固有の事情があるのだから、街の表面だけをなぞるように真似をして同じような成果を得ることなどできるわけがないのであるが、なんだかそういう話以前の問題な気もする。
なお、この『造景 2022』には「しもきた商店振興組合」の理事長や、都市社会学の専門家、「北沢PR戦略会議」のメンバーなど、さまざまな立場からの意見が掲載されており、それぞれに目指すところが微妙に異なっているように見え、そこも大変興味深い。『コミュニティシップ』や『人工減少時代の再開発』と合わせてぜひ読んでいただきたい一冊である。


















