(772)【note再録】「ミューズスクエア」と『自由が丘の贈り物』に見る街の歪な変貌

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今回は、noteからの再録記事をお届けします。

【note】「ミューズスクエア」と『自由が丘の贈り物』に見る街の歪な変貌

以下、noteに掲載した記事とまったく同じ内容ですので、お好きなほうでお読みいただければと思います。


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「ミューズスクエア」と『自由が丘の贈り物』に見る街の歪な変貌


長らく大規模な再開発と無縁だった街、自由が丘に新しい商業ビルがオープンした。

ミューズスクエア

「JIYUGAOKA MUSE SQUARE(自由が丘 ミューズスクエア)」(以下、「ミューズスクエア」と表記)である。

女神像

ごぞんじの方もいると思うが、自由が丘の駅前にはずっと昔から女神像が立っていて、これが「ミューズスクエア」の由来だろう。

オープン当日、買い物ついでに覗いてみたのだが、一歩足を踏み入れた際の第一印象は「あれ?狭くない?」であった。

ミューズスクエア

意匠は凝っているが、入ってすぐのエスカレーターホールに抜け感がなく、天井高も低くて圧迫感を感じてしまうのだ。

ミューズスクエア

ひとまず人混みに流されるまま進んでみたが、通路に勾配がついていることもあり、徐々に天井が低くなりトンネルのような息苦しさを感じた。

ミューズスクエア

気を取り直してエスカレーターで上層階に向かってみたものの、狭苦しい印象は変わらない。今時の商業施設としては通路が狭いし、外から光が入ってこないのも窮屈さを感じさせる要因だと思う。真新しい商業施設を訪れたときにこんなふうに感じるのは珍しい。

しばらく歩いてから、このサイズ感、どこかで覚えがあるとふと気づいた。

自由が丘デパート

「自由が丘デパート」だ。昼か夜かもわからない狭い場所に小さな店が軒を連ねている、あの感じに似ているのである。

自由が丘デパート

まさか、1953年にオープンして以来、昭和の雰囲気を色濃く残したままの自由が丘の元祖商業ビルに令和の「ミューズスクエア」がオマージュを捧げているのか?

もちろん、そんなわけもなく、狭い場所に商業ビルを建てた結果、スケール感が似てしまっただけの話だ。

再開発前の自由が丘
※「ミューズスクエア」が建つ前の路地

思い出してみれば、「ミューズスクエア」の中心部分にあたる場所はかつて小さな店がならぶ路地であった。ワンブロックまるまるの再開発だから大規模だと思い込んでいたのだが、商業ビルを作るには土地が狭すぎるのである。

大井町トラックス

たとえば、つい最近オープンした「大井町トラックス」などは、テナントの中身はともかく、圧倒されるような規模感に裏打ちされた未来感があった。飽きがくればただのハコかもしれないが、少なくとも最初に訪問したときは素直に楽しめた。子どもの頃、空港を訪れたときに抱いたような、あのワクワクした感覚。

大井町トラックス

おまけにゴロゴロできる芝生スペースまであって、ファミリーやカップルの憩いの場になっていたのも好印象だった。

それが可能になったのも、もともと劇団四季の劇場が建つくらいの広々とした土地があったからこそなのだ。同じく再開発でいえば、二子玉川の「ライズ」はナムコワンダーエッグの跡地だし、武蔵小杉の「グランツリー」は工場の跡地である。当たり前のことかもしれないが、再開発で商業ビルを建てるならばそれなりの敷地が必要なのだ。「ミューズスクエア」はそれをするには土地が狭すぎたということだと思う。


■どこにでもあるチェーン店の集合体が退屈だ

ならば、下北沢や学芸大学のようなオルタナティブな再開発の形がありえたのではないかと思うが、残念ながらそうはならず、その中身は今挙げた大型商業施設の小型版コピーのような顔ぶれなのが悲しい。

ミューズスクエア

ようするに、ただのチェーン店の集合体なのである。

自由ヶ丘にすでに複数店舗存在するマツキヨやスタバがさらに増えた上、ハンズ、叙々苑、UNITED ARROWS、Cosme Kitchen、ピエール・マルコリーニなどなど、どこかの繁華街の商業ビルで見かける店ばかりがズラリと並ぶ。

LIVING HOUSE/SEMPRE edit

「LIVING HOUSE/SEMPRE edit」のように個人的に関心のあるジャンルの有名店も出店しているが、家具やインテリアを扱う店としては小規模で中身が薄い印象は否めない。これなら大きな窓と吹き抜けのある開放的な店内が楽しめる池尻の「SEMPRE」まで出かけるほうがずっと楽しい。

モンブラン・一誠堂・藪伊豆

いやいや、「モンブラン」や「一誠堂」、「藪伊豆」のような地元の店も再出店してるではないですかと反論されるかもしれないが、地権者だった店が新しいビルに入るのは再開発のお約束であるし、全体から見ればほんの一握りだ。

つまり、本当の問題は、その狭さではなく、内容の乏しさ=自由が丘に新しい活力を与えてくれるような個性的な店が見当たらないテナント構成にあるのだ、と言いたい。

よく考えてみてほしい。

私の部屋

フランス文学者でもあった前川嘉男が創業した「私の部屋」は、1982年の開店「当時、店のある近隣は民家ばかりで、とても買い物客が来るような場所ではなかった」(『自由が丘の贈り物』115ページ)という場所から、自由が丘が「雑貨の街」と呼ばれるようになる大きなブームを生み出した。

モンサンクレール

自由が丘を「スイーツの街」に押し上げた立役者である辻口博啓は、自由が丘の第一印象を「こんなコンパクトでかわいい街に、お店があって人が住んでいるなんて、まるでおとぎの国に来たような、不思議な感覚でした」(同37ページ)と語っているが、彼が1998年に始めた「モンサンクレール」は、自由が丘の中心からは離れた、目黒通りのやや手前という商業的には恵まれたとは言えない立地にあった。

「雑貨の街」「スイーツの街」という自由が丘のイメージはこういう野心的な個人店のチャレンジが生み出してきたものだ。どこにでもあるチェーン店の寄せ集めからは、こういう新しい文化は決して生まれない。

と書いたところで自分でも意識していなかったことに気づいた。

ミューズスクエア

ようするに、「ミューズスクエア」は小さな観光ビルなのだ。よそから遊びにきた人にわかりやすいテナントを提供し、お金を落としてもらうための施設である。子どもの頃からこの街を知っている自分にとっては、自由が丘が観光地になるなんて信じられないが、今やこれが現実なのだ。

「ミューズスクエア」の公式ページの「コンセプト」には「自由が丘に、新しい日常の場が生まれる」というキャッチコピーが謳われていたが、「看板に偽りあり」ではないか。ここにあるのは日常ではなく、複製された観光でしかない。「ミューズスクエア」にとって自由が丘の近辺に暮らす地元民の生活なんて二の次なのである。

しかし、短期的に儲けることを考えれば「ミューズスクエア」のやり方は正しいのだから困ってしまう。

床面積の広い建物(高層ビルやタワマン)を建設し、その床をなるべく高値で借りてくれる相手に貸して儲けるのが資本主義的には正解なのであり、その意味で「ミューズスクエア」は最近の東京で主流を占める再開発と同じ道を歩んでいるだけだ。

ここに意欲的で個性的な個人店が入り込む余地はまったくない。自由が丘駅前の一等地に建てられた新築ビルの賃料をチェーン店以外の誰が払えるというのか。万一手を挙げたとしても「資金力に劣り」、「いつ潰れるかもわからない」個人店に誰がテナントなんて貸すものか、という話だ。

その意味では、先に触れた「自由が丘デパート」のほうが個人店に向けて門戸が開かれているのでよっぽどましなのである(最近、シャッター街化が進んでいるので、それはそれで問題なのだが)。

ミューズスクエア レジデンス

上層部には「ミューズスクエア レジデンス」もある。分譲ではなく高級賃貸マンションである。家賃は44平米で34万円からだそうだ。目もくらむ。誰が借りるのか、と思ってしまうが、すでにそこそこの数の部屋が埋まっているのだと聞いた。

僕も小さなマンションとはいえ、賃貸を営む大家である。持っている物件は、やっぱり高く貸したいという気持ちはよくわかる。

大家目線で見れば商業テナントだって同じ理屈だから、「面白い店」ではなく、「高く借りてくれる店」に貸すことを安易には責められない。いつものことであるが、この種の話は何を言っても結局は自分に返ってくる。「おまえだって自分の物件を少しでも高く貸したいんだろうが」と言われてはぐうの音も出ない。

というか、資本主義が極まってくると、大抵の人間が公共の利益など眼中になくなり、個人の利益を最大化することばかり考えるようになる。本来ならば、ここに歯止めをかける法律や政策が必要なはずなのだが、現状は規制緩和の方向に邁進しているのが現状なのだ。

ミューズスクエア

なにしろ、こういうドデカいビルが建つと、街のバランスが崩れてしまうのがいけない。

ランドマークと言えば聞こえはいいだろうが、低層の街並みではこのビルばかりが悪目立ちする。駅に降り立った観光客も、「なんかデカいビルがあるな、とりあえずあそこ行くか」となる。

ミューズスクエア

中をぐるぐると回ってお茶でもしたらなんとなく満足はするだろう。清潔で小ぎれいだが、凡庸なウインドウショッピングを楽しんで終わり、となる。「きれいだったけど、どこにでもある店ばかりだったね」と思うかもしれない。自由が丘という街には、通りを歩き、路地に分け入り、自分なりに街を発見する楽しみがあるにもかかわらず、だ。

バランスといえば、一帯の家賃だって崩れてしまう。

こういう商業ビルは街の家賃水準を押し上げて、これまで街角で小さなビジネスを営んできた個人店を駆逐する格好の機会になってしまう。いわゆるジェントリフィケーションである。

しかも、それはこれから起きる話というよりは、もう起きている話なのだ。


■昔の自由が丘は「飲み屋街」と「映画の街」だった

ということで前置きが長大になったが、今回取り上げる本はこちらである。

自由が丘の贈り物

ミシマ社編『自由が丘の贈り物 私のお店、私の街』(2013年)だ。

この街でお店を営む人々のさまざまな視点から切り取った自由が丘の姿がつづられている。『自由が丘の贈り物』を作ったミシマ社は「自由が丘のほがらかな出版社」を自称する地元の出版社だけあって、取り上げられるのはこの地で長く商売をしてきた個店ばかりだ。

興味深いのは、「スイーツと雑貨」(3ページ)とか「マダムの街」(3ページ)とかいうステレオタイプ化された自由が丘像が生まれる前の姿を積極的に取り上げているところだ。

「はじめに」では自由が丘についてこう述べられている。

「けっして、ひとことでは言い表すことのできない街。いろんな表情をもつ街。それが、自由が丘。この街で七年間、出版社をやってきての感想です。(中略)
 尽きせぬ魅力をたたえたこの街を、もっともっと知りたい。
 そんな私たちの純粋な思いから、本企画は始まりま
した」(5ページ)

たとえば、自由が丘の歴史を紐解いてみれば「安居酒屋の街」(4ページ)という顔があるのだという。

京城園

昨年、閉店した焼肉屋「京城園」の店主・坂井洋一はこう語っている。

「いまでこそ自由が丘の夜は静かで安全な雰囲気ですが、40年前は、この辺りは飲み屋街でね。深夜0時を過ぎると、ちょっと“怖い人”がうろうろしてたんです」(57ページ)

そして、店のトイレで転んでケガをしたヤクザに強請られそうになるエピソードが披露される。とても今の自由が丘からは想像できない話である。

また、2018年に84年の歴史に幕を下ろした雑貨店「時・遊・館」の店主・佐藤裕司はこう語っている。

「いまでは想像できないけれど、僕が子どもの頃、店の前は酔ったサラリーマンが駅へと向かう通りで。毎晩、部屋の窓からそんな賑やかな様子を眺めていたのを覚えていますね」(66ページ)

自由が丘の街角

これまた閉店してしまったバー「ココティエ」の店主・廣川由紀彦も「僕がまだ子どもだった60年代は、このあたりはネオンがギラギラしていましたね」(82ページ)と書いている。

こういった証言の数々を読んで、自分が子どもだった頃の自由が丘って、そういう「飲み屋街」としての顔が健在だったよなあ、と思い出した。まだディスコなんかもあった。

美観街

自由が丘の飲み屋街といえば美観街が思い浮かぶが、ここにはポルノ映画を流す映画館があった。今はパチンコ屋があるあたりである。

調べてみるとこんな記事が見つかった。

【西村文生堂】自由が丘は、映画の街であった

自由が丘で長く商売を続けてきた「西村文生堂」のホームページに掲載された記事である。

西村文生堂

「西村文生堂」は本書でおすすめの46店のひとつにも選ばれている古本屋である。

にしても、自由が丘が映画の街だったなんて、これも今の姿からはまったく想像できないのではないだろうか。この記事によれば、僕が覚えていたのは「自由ヶ丘劇場」で「1956年に開館し」「後に、日活・洋画のロマンポルノ、ピンク映画を中心に上映。1986年に閉館」とのことであった。

閉館時には僕は9歳だったから記憶に残っている。近くにこれまた閉店してしまった老舗の中華料理店「梅華」があって、家族でそこで夕飯を食べた帰りにこの映画館の前を通ると父親がポルノの看板をガン見していて気まずい思いをしたのを覚えている。

美観街

しかし、その美観街も再開発が決まっている。すでに再開発準備組合が立ち上がっていて、この一帯には「ミューズスクエア」の倍近い階数のタワーマンションが建てられるのだという。かくして自由が丘の「夜の顔」は消え去ることになるのだ。


■かつては文化人も集う街だった自由が丘

『自由が丘の贈り物』では、もうひとつ、自由が丘の知られざる顔について語られている。それは「作家や文化人が集う街」としての顔である。

こちらについてはさらに歴史をさかのぼるようで、個人的にはまったく覚えがないのだが、街の名前自体がその活動に由来していることはなんとなくは知っていた。

自由ヶ丘学園の記念碑

今も記念碑が「JIYUGAOKA de aone」の敷地内に移転されて残っている。

本書によれば、「この街が「自由が丘」と呼ばれるようになったのは、昭和2年(1927年)、この街に手塚岸衛が「自由ヶ丘学園」を作ったことがきっかけ」なのである(26ページ)。この学園に「創作ダンスの第一人者・石井獏氏」(26ページ)が関わっていたこともあり、二人の「前衛的な姿勢と、「自由」という言葉のもつハイカラで開放的な魅力に惹かれた文化人たちが、この街に集まってくる」(26ページ)ようになったという経緯のようである。

「自由が丘で最初の本屋さん」(119ページ)であった「不二屋書店」の門坂直美は「自由ヶ丘学園」の一期生だったそうで、「興味のあることはどんどんやって、やりたくないことは無理にやらなくていい」(120ページ)という、昭和のあの時代にはかなり珍しい自由な校風があったことを証言している。なお、「不二屋書店」も2025年に閉店し、今は「i’m donut?」になった。

文化人たちが集う場所として知られていたのは、これもすでに閉店してしまった「藤原写真場」である。

藤原写真場

現在は東急建設のオフィスとなっているが、雰囲気のあるショーウインドウはまだその姿を残しており、往時を偲ぶことができる。「初代・藤原正氏は、文化人会という会合の事務を務め、交流会の幹事」(43ページ)をしていたのだそうだ。子どもの頃は「なんかレトロな写真館だなあ」としか思わなかったが、そういう歴史があったとは知らなかった。

こうした集まりはもともと「戦後、食糧の少ない時代、いただきものの食べ物や飲み物を持ち寄って、食事会を開いた」(42ページ)のがきっかけだったので、「日本が豊かになっていくにつれ、食糧がじゅうぶんに行き渡るようになったことから、文化村も自然と解散」(43ページ)したのだそうだ。平たく言えば「食べ物が目当てで集まってたから、食うに困らないようになったら誰も来なくなった」ということか。文化人にしては、なんだか寂しい話だ。

2026年現在もなお、そんな時代の名残りをかすかに感じることができるのが、本書が選ぶ46店のひとつ「金田」である。

居酒屋金田

「初代の頃から、多くの文化人や芸術家の方々が通って」(101ページ)いたという居酒屋である。店内には画家の須山計一が描いた絵が飾られているという。僕は下戸なので行ったことがなく、初耳であった。

「金田」も美観街に属する店だから、近い将来、再開発で転居を余儀なくされるはずだ。文化村の残滓もまた、消えていくのである。


■本書で紹介された46店のうち1/3以上が閉店した

こんな具合に「自由が丘の知られざる顔」を切り取った『自由が丘の贈り物』だが、実は本書の真の価値は、こうしたざっくりした切り口では回収しきれない、それぞれの店に隠された物語について知れるところにあるのである。

肉屋の「荒川商店」(22,23ページ)、お惣菜の「味よし」(24,25ページ)、ペットの「鈴木鳥獣店」(90,91ページ)、うなぎの「ほさかや」(110,111ページ)あたりを読んでみてほしい。昔から個人が営んできた、「どこにでもあるようで、ここにしかない」店が自由が丘にだってあるんだぞ、という当たり前の事実がわかるはずだ。行間からはふつうの街の生活感のようなものがにじみ出ている。

九品仏川緑道

自由ヶ丘は雑誌やテレビなどのメディアでは「おしゃれな街」としてばかり語られがちであるが、地元民にとってはふつうの日常があって、そのための店の数々が存在していることをあえて語ったところにこそ、この本の価値がある。

だが、街の再開発≒観光地化が進めば、そういう「ふつうの店」の居場所は失われていく。

2026年の今となっては閉店している店が目立ってきた。

自由が丘の贈り物の帯

本書の帯には「地元「自由が丘のほがらかな出版社」がおすすめする46店」というコピーが掲げられているが、46店のうち2026年に一体何店舗が残っているのか、実際に街を歩いて一軒一軒確認してみることにした。

自由が丘の贈り物のマップ

ちなみに、本書のカバーは開くとそのままマップになるという面白い造りをしている。これを片手に街を歩くのはなかなか楽しい経験だった。

以下、本書の紹介順に写真を挙げていくが、閉店した店は跡地を撮影した写真をモノクロ加工で示している。自由が丘徒歩圏内ではない場所に移転した店は閉店扱いしたが、掲載当時の場所から徒歩圏内に移転した場合は「(圏内で移転)」と注記した。

閉店リスト①

①白山米店
②自由が丘 長寿庵(※長期休店中)
③萬珍軒(圏内で移転)
④荒川商店
⑤味よし
⑥ポパイカメラ
⑦katakana
⑧【閉店】自由が丘ロール屋
⑨Eckepunkt

閉店リスト②

⑩おもちゃのマミー
⑪なんた浜
⑫喜多由
⑬【閉店】パームスカフェ 自由が丘
⑭【閉店】京城園
⑮【閉店】いちばんや
⑯【閉店】時・遊・館
⑰【閉店】大倉屋
⑱五十嵐金物店(圏内で移転)

閉店リスト③

⑲豊栄堂
⑳一貫堂文具店
㉑【閉店】旅
㉒串 STELLA
㉓【閉店】cocotier
㉔【閉店】Children
㉕【閉店】お弁当のまごころ
㉖自由が丘 山屋
㉗鈴木鳥獣店

閉店リスト④

㉘玉川屋(圏内で移転)
㉙金田
㉚亀屋万年堂 総本店(圏内で移転)
㉛モンブラン(圏内で移転)
㉜ほさかや
㉝私の部屋 自由が丘店
㉞【閉店】不二屋書店
㉟ブックファースト 自由が丘店(圏内で移転)
㊱【閉店】和良 自由が丘工房&Cafe

閉店リスト⑤

㊲【閉店】CREATEUR
㊳【閉店】ヒラクヤ
㊴エル・ペスカドール
㊵【閉店】cafe Sands
㊶イル コモド ピッティ
㊷mocco
㊸cafe イカニカ(圏内で移転)
㊹【閉店】ohanaya(圏外に移転)
㊺幹東(圏内で移転)

以上の45店に、先ほど触れた西村文生堂を加えた全46店であるが、このうち16店、およそ1/3が閉店したことになる。

美観街

先ほども書いたが、美観街の属する「自由が丘東地区」では再開発準備組合が立ち上がって計画が具体的に進んでいる。まだ気配は感じられないものの「自由が丘駅前地区」でも市街地再開発準備組合が設立されたと聞く。

となると、残りの30店のうち、東地区の「金田」「ほさかや」「エル・ペスカドール」に加え「ポパイカメラ」あたりも引っかかってくるかもしれない。どれも創業して80~90年の個人店であり、これらが姿を消すかもしれないというのは残念である。

もちろん、昔を懐かしんでばかりもいられない。街は変わるものだし、変わっていい。「映画の街・自由が丘」や「文化人の集う自由が丘」はもはや消え去ったし、「飲み屋街としての自由が丘」も風前の灯火である。「雑貨とスイーツ」という二枚看板だって、いつまで続くかわからない。

新しい街に個性と活力が生まれれば健全な新陳代謝として受け入れる気になるはずなのだが、冒頭に触れたとおり、今の自由が丘で進む再開発にはそういうポジティヴな面が感じられず、安易なチェーン店の集合体ばかりが増えていくのが心配なのである。


■他の街を真似て作った高層ビルに未来はあるのか

しかも、自由が丘という街は、再開発にあたって極めて自覚的にこの方向性を選択しているのだから問題は深刻である。

以前も取り上げた『自由が丘ブランド』(産業能率大学出版部、2016年)に書かれた岡田一弥の言葉をあらためて紹介しよう。岡田は「ミューズスクエア」を手がけた再開発組合の理事長を務める中心人物の一人である。

「大きなビルが建ってしまったら、この街の魅力である細街路を散策し、小さな発見をする楽しみはなくなってしまいかねない。今のままでいいという考えもあるかもしれません。しかし自由が丘には強力なライバルが次々と登場しています。同じ東急沿線の二子玉川、武蔵小杉がそれです」(『自由が丘ブランド』9ページ)

自由が丘は背中を追うのは、一足先に巨大なタワマンと商業ビルを建てた二子玉川と武蔵小杉なのである。

二子玉川や武蔵小杉
左:二子玉川/右:武蔵小杉

「ミューズスクエア」は、再開発された他の街に追いつきたいという意志表明なのだ。しかし、タワマンと商業ビルが林立する二子玉川や武蔵小杉が真似したくなる街だろうか。

冒頭に指摘したとおり、出店に制約の多い商業ビルから新しい文化は生まれない。町全体が高級化すれば、裾野で小さな商いを始める余地も消えてしまう。未来の前川嘉男や辻口博啓は、別の街に向かうかもしれない。

二子玉・武蔵小杉・大井町・自由が丘の商業ビル

全国どこに行ってもイオンモールがある風景を「ファスト風土」と呼んだのは三浦展だったが、今や二子玉、武蔵小杉、大井町、自由が丘という、相互に電車で10分ほどの街々で同じような現象が起きている。似通ったチェーン店を集めた商業ビルを作って、互いに競うように模倣しあっているのだ。その結果、それぞれの街が個性を失って、皆同じようなのっぺりとした顔になろうとしている。

百歩譲って街がつまらなくなるだけならまだいい。もっと心配なのは50年後、100年後の未来のことだ。ヒューマンスケールの建物ならいざ知らず、高層ビルやタワマンの建て替えは金銭的にも技術的にも至難の業である。

以前、代官山の同潤会アパートの再開発を取り上げた際に指摘したが、タワーマンションは、地権者が手出しなしに古い建物を新しく建て替えることのできる魔法の杖だ。

低層だった建物を高層にすることで床面積を増やし、それを売ることで地権者たちは持ち出しなしで新しい居場所を手に入れることができる。

ただし、冷静に考えれば、これは未来に問題を先送りし、解決不可能な状態にすることでしかないとわかるはずだ。数十階にも及ぶ巨大な建物が寿命を迎えたとき、今度はどうするのか?「高い建物を建てて床を売る」という同じ手段はもう使えないのだ。

ミューズスクエア

未来の自由が丘駅前は一体どうなるのだろう?建て替えることもできないまま、閑散とした古ビルと化した「ミューズスクエア」を想像すると怖ろしい。そのとき、責任を取るべき人々は誰一人生きていないのだ。


■でも、歩道が広くなって安全になったのはよかった

散々、苦言を呈してきたが、良くなった点もあるので最後にそこにも触れておく。

それは歩道の拡幅による安全性の向上である。

バスロータリー

自由が丘の駅前にはバスロータリーとタクシー乗り場があり、クルマの行き来はそれなりに激しい。ところが、もともとの道路の幅が狭いため、クルマは人混みを避けながらおっかなびっくり進まねばならなかった。

バスと歩行者

狭い道路を大きなバスが通るが、とにかく歩道が狭い。慣れ切った地元民たちは涼しい顔でバスと袖触れ合わんばかりの距離で歩いているが、当然ながら危険であった。

「ミューズスクエア」の歩道

今回、「ミューズスクエア」の敷地内にゆったりした歩道が設けられたことで、クルマと歩行者の棲み分けがはっきりして安全性が向上したのはまちがいない。これは素晴らしいことだ。

狭い道を走るバス

駅から出発したバスが学園通りへ抜けていくほうの道はあいかわらずの狭さだが、こちらも再開発準備組合が立ち上がっているそうなので、おそらく道幅については拡げられていくのではないか。

しかし、そのための手段が巨大な商業ビルだとすれば代償が高すぎる。何か他のやりようがあればいいのだが。

アサクラ

大家業。世田谷のマンションと東京西部の山奥にある小屋を管理&経営しています。最近は熱海に購入したマンションの一室をDIYで修繕中。ESSE online(エ...

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